罪悪感と筋膜の癒着量は比例する?

なにか物事で失敗したとき。
『反省はしても罪悪感は持つな』
という考えは体にやさしい教えです。

人は罪悪感を持つと持続的な筋緊張状態が継続します。
罪悪感を持つと後ろめたさを感じ自己否定をします。
筋肉の緊張はそんなときに緊縛されてるようです。

精神的な緊張と肉体的な緊張の関係は密接です。

ストレスのなかの一つとなる罪悪感は、
過去に起こった結果に自責し続けることです。

自分の体で感じたことです。
その自責の念に気づいたとき、
喉のつまりや大胸筋の硬化を感じました。
かなり強い固まりに短期間でなってしまった。
無意識のうちに起こっていることは怖いですね。

罪悪感をもち自責の念が身を包むとき、
1分間反省を心がけます。
それ以上のことは水に流します。

-<一分間反省法>(書籍『一分間セールスマン』より)

・自分の行動が、自分でも納得できず、受け入れがたいものであったときは、
その行動を自ら叱る。
・具体的にどこが間違っていたのかを自分自身に言う
・自分がしたこと(しなかったこと)のために感じたイヤな気持ちを自分自身で味わう
・自分の人間としての値打ちは、その行動とは別のものであることを確認する
・人間として自分はかけがえのない存在であり、最善の行動を成すにふさわしいものであることを心に刻みつける。
・間違った行動に背を向け、本来の正しい目的に立ち戻る。
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何かで失敗をしても、罪悪感を持つよりもよい方法があります。
再起・挽回を信じ闘争本能をたぎらせれば、
体内血流は活発になります。
新たなチャレンジ課題として前向きにとらえるのです。
ただ行き過ぎると内在するエネルギーを多量に燃やします。
余計な力がはいって効率的ではないときもあるでしょう。
その空回りで力みが入ってできる筋膜の癒着は、
罪悪感を持ったときと比べると遅々とし少ないようです。

ユダヤ人の教えにあります。
罪人を石打ちの刑に処す許可を、ユダヤ教の牧師(ラビ)に求めたとき。
教典では明らかにその刑を処すことが妥当とされています。
ですが若い女性に同情する余地があると感じた牧師は、
「今まで罪を何一つ犯さなかったもの、まず石を投げよ」。
しばらくすると殺気だった民衆はその場に誰もいなくなった。

人間、何一つ罪を犯したことがないものなどいないでしょう。
行動の思慮深さと開き直りも必要です。