からだの一部にものすごく気になる場所、
たとえば張りが強く感じるようなところがあると、
そこに向けられる『意識の量』が増える。
それにより体の感覚がまったく当てにならなくなるときがある。
先日左肩および左肩甲骨周辺に張りが強くて気になる、
という方にいくつかの質問をしてみた。
仰向けに寝た状態。
目をつぶってもらって、
・左右の肩について感じ取ってください。
・ちょっと観察してみてください。
「左右肩はどちらがあがっていますか?
それとも同じくらいですか?」
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- 回答:左肩が上に感じます
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「左肩があがっているよう感じますね」
「それでは肩は左右どちらが前に出すぎてますか?
それとも同じくらいですか?」
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- 回答:あと、左肩が前のほうへねじれて出すぎている感じです
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「左右肩甲骨はどちらが地面に強く当たっていますか?
それとも同じくらいですか?」
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- 回答:左肩甲骨が・・・強くあたっているみたい。
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など、他鎖骨の高さの感じなどもいろいろ質問しました。
するといくつも僕が見ていて明らかにからだの感じていることと、
実際に感じていることとはまったく逆な回答がいくつもあった。
実はこの質問をすることで自分のからだの体性感覚に意識を向けていくと、
それだけでからだの筋肉は弛緩し始める。
それを狙った。
だが感覚と実際の歪みが逆転した回答がなされていた。
とても興味深い。
からだの箇所の強い張りなどがあれば、
意識量の差が生まれる。
無意識に痛みやはりがある箇所に多くの気を配る。
気の配られる量により、感じ方が逆転してしまうことがある。
張りの強い場所をリリースしたあと、
肩の高さも正しく感じられるようになった。
右の肩が高く感じられるようになる。
実情にあった感覚を、感じとれなくなるようになる。
気の配りかたいかんで、体の感覚の錯覚が入りだす。
錯覚は、多くのからだの情報を誤ったものとして解釈する。
するとその錯覚からは適切な手を打つことができなくなる。
錯覚を鵜呑みにしてはいけない。
体のねじれのことを未熟な形で聞き知っていると、
よけい精神的に泥沼にはまります。
間違った錯覚情報を信じて対処しようとすると、
自分が思い描いた理想的な結果とはかけ離れていきます。
泥沼です。
そのようなとき体の状態を感じ取る質問を受ければ
いい結果を得られるときがあります。