体の使い方を勉強していくうちに陥るスランプ

ある程度体の使い方に自信ができてくると陥ること。

他人の目からみてかっこよく体を使おうとしてしまうこと。
もちろんかっこ悪く使いましょうということを推奨しているわけではない。
自然の理に合った動き方は、
もとより機能的で美しいものです。

ですが「このような動き方でよいのだろう」と、
少し自信が出てくるときがある。
そのときは気付かないうちに初心が抜け落ち、
以前の自分の体の癖が外面的・内面的にも表出してくる。
不思議とそれに気付けないものなのです。

スポーツ選手の中にはそのような経験をするものも多い。
新しいフォームを完成させて真理を得たような場合。
我心を捨てて丁寧に基礎を身にまとうときには、
最高の気分となる。
それだけの成果が生まれてくるからだ。
だがしばらくすると上記のような我が内出してくる。
そして初心から離れてスランプに陥る。

そのようなときに『トンパ』文字で有名なトンパのことわざを思い出す。

●知恵というものは、心を清めた状態で自然から学ぶものである。

すべては自然から教えられる。
心が清められた素直な気持ちのときに福音として知恵がもたらされる。

そう考えてみると、
「こないだまでできていたのに、なぜできなくなったの?」
と焦りを感じるとき、
別の視点から見つめなおすことができる。
自然から派生した基礎理論を順次思い出していき、
自然に身を任せればいいと信頼しきってしまう。
心地よい落ち着いた気持ちでいるときは、
体も伸びやかで繊細に動くことができる。

それが深く基礎を見つめなおすきっかけとなる。
そして新たな気付きを得ることもあるのでしょう。

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操体法的に言えば次のような感じ。

『体は気持ちいいほうに動かせばいいんじゃ。
そのように動かすために体の声を聴けばいい。
それこそが自然の声である。
体の設計にミスがないことを信じればいい。』

自然の一部として構成されるパーツとしての私の体。
そして貴方の体。
自然と隔絶しているものではない。
自然に溶け込ませて気持ちよさを味わう。
我心が抜けたときにスランプも徐々に快方へと向かうでしょう。

素直に自然を受け入れることというと、禅問答のよう。
今の自分が気付いていない世界を垣間見なさいといわれているようで、
一筋縄ではいかない。

だがそのような境地に到ったものたちはきっと幸せなのだろうと思いませんか?