触覚は原始的な感覚で生命力に通じるはず


ミジンコやゾウリムシなど。
視覚や聴覚が人間ほど発達していない動物。
だが触覚はかなり一人前に発達しています。


本来視覚や聴覚が高度に発達してきたのは、
進化の過程では最近とえいるでしょう。
原始的な単細胞生物から始まりました。
もう少し進んで藻やそれを食す原始的な動物たち。
彼らの便りにした感覚器官は触覚でした。


視覚や聴覚も高度に触覚器官が特化発達して出来上がったもの。
もとをたどれば原始的な動物たちがヒゲのような触手を伸ばし、
情報を手さぐりし、肌で感じたのが感覚器官の事の始まりです。


人間にとって視覚や聴覚は最先端の強力なツールです。
印象の度合いも他の動物とは異なります。
立体把握力に富みます。
視覚の発達に人間の知的活動は支えられています。
視力をなくせば私がいまおこなっている作業も不自由になります。
役立ってお世話になっています。


ですが強力な感覚器官であればあるほど、
便りにして多用してしまいがちになる。


すると触覚という原始的な感覚が、
視覚の裏に隠れて影をひそめる。
脳や意識の資源は無限ではなく、
活用中の感覚器官がクローズアップされて、
他の感覚器官はかすんでいく。
その状態が仕事やテレビを見ているときも、
長期間に渡りキープされている。
そしてその体の使い方が癖となり、
五感のアンバランスが進化していく。
それにより特定の悪影響が発生。
でもこの悪影響の発生原因は本人は気付くことがない。
やっかいなものです。


高度に発達した局部感覚器官(耳・鼻・目など)は、
全身から入る触覚情報を肩代わりできません。
視覚に頼りすぎることは危険です。


触覚ほど体全身から受け入れることのできる器官はありません。
『手で触る』だけではなく足の裏で振れたり、背中で感じたり。
体全体が満遍なく触覚器官。


赤ちゃんはやさしいふれあいが無くなれば情緒が不安定になるそうです。
おそらく触覚を研ぎ澄ますほど、
原始的な生命力を飛躍させるエクササイズはないでしょう。


体の一部の局所から入る情報収集と、
体の全体から入る情報量。
この二つがうまく天秤にぶら下がりバランスをとること。
その視点で捉えてみると新しい方向づけが見えてきます。