それにしてもワークの勉強をして、
困ったことがある。
特定箇所を深く掘り下げて勉強している。
すると必ずといってよいほど、
病理研究中に同様な痛みを自らの体が感じ再現してしまう。
本当に心血を注いで意識を集中して研究をしているからだ。
不思議な現象でもある。。。
たとえば肩甲骨の使い方の研究といえば、
研究をすればそれだけ快適になるかといえばどうか?
時期にはそうなっていく。
体がスムースにその研究成果を受け入れて、
『身につく』ほど理解できたときだ。
だがそこまで至る前に必ず腫れたり、
関連筋にまで影響がでる。
ある意味、
これは局所アプローチをするために生じていることはわかっている。
その特定箇所のみがクローズアップされすぎることで、
体の統合したムーブメントの異常が生じる。
一カ所が強く意識されることで他が見えなくなるからだ。
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だが筋肉痛についてはかなり慣れてきた。
乱暴な言い方だが、
『死ぬようなことはない』。
と安心しているから、
逆にその痛みの観察に余念がない。
そんな痛みの中から見つかる宝石も多いのだ。
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しかし内臓部分の研究をしていて、
それで腹部の調子がおかしくなった。
やはり筋肉の特定箇所を研究すると同様、
またはそれ以上に精神を集中して研究した。
その『成果』です。
TT)
久々に
『やっちゃいました』。
どうしても通り抜けなければならないハードル。
【頭脳は腹脳の出先機関】の秘密がわかれば、
3つある山場の一つが崩せるからです。
だが内臓の不快感は筋肉に発生する苦痛と、
ずいぶん勝手が違う。
「不安感が筋肉の数倍になるものだなぁ」、
と思いつつどきどきものであります。
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意識をひとところに注視して固定させるとき。
全体の意識の流れをせき止めてしまう効果も生みます。
いびつなまでにクローズアップしてそのもののみを見つめる。
そのミクロな眼を養うことは『分ける』こと、
分析につながるので必須です。
ただミクロと同時にマクロの意識も持ち合わせるセンス、
これがあれば全体の流れを止めることはありません。
これが痛烈にほしいと感じる今日この頃であります。