部屋の掃除と整理整頓に心血を注ぐ!

ここ数日、部屋の掃除と整理整頓に時間を費やしています。


一カ月前より、
20年間ため込んだ数々の資料を分別。
その数はかなりのものです。
本であったりビデオであったりCDであったり。
その9割ほど処分しました。


ものを捨てることに対して抵抗があります。
心血を注いだ資料と別れを告げるとき、
強い抵抗を感じます。


だが資料点数が多く、
自分で把握できない。
それではいい仕事ができない。


部屋や資料を整理することで、
脳が把握しやすくなるように、
記憶することが大切ですね。


これからは、
必要な資料は必要なとき集めればいい。


テレビでゴミ屋敷のことを放送している。
私の頭の中はそんな感じだったに違いない。


なりふりかまわずに「自分に必要な物かもしれない」ものを集めてきた。
必要な物と不要な物を曖昧に分けた。
不要な物のなかに必要な物が埋もれた。
そして何が必要で何が不要かを分別するための質問がなくなり、
観察力が減退していった。


人間の知識や智恵は質問と観察の二つの連携により生じます。


人はいつのまにか『決まりきったこと』や『危険を感じないこと』への
質問をすることを忘れてしまいます。
質問をすることで脳は答えを自動的に見つけ出します。
観察というツールを使って情報収集をして分析をする。
そして質問に則した回答がはじき出されます。
質問力が甘くなると、
知識や智恵の老朽化や減退を意味する。


そうした側面があることに気づきました。


その直後、
自分の部屋を見回したときの驚き。
衝撃的でした。^^;


とにかく今は、
不要となった資料や部屋のなかの物、
そのなかには思い出が詰まった物もあります。
ですが泣く泣く手放しました。。。


物や資料たちを処分する前に、
『君たちが憎かったり悪かったりするわけではないんだ。
今まで僕のところにいてくれてありがとう。』
そう心を込めて別れを告げました。
自分の心に納得させるかのように。


不要な物には愛情をそそがなくて良いわけではない。
私の役に立ってくれようと頑張ってくれていました。
私はそう思えてなりません。


まだ部屋は整理の道の途中です。
整理整頓されて掃除が行き届くと、
頭の中も整理されてきました。


複雑になり注意力を失った自分から、
シンプルな集中力を取り戻したい。
そして透明な思考へと近づきたい。


そう考えてます。^^)