精神感応力の雑感

プロスポーツ選手で、
対戦相手がいるとき。


対決で殺気を出すことと集中力を発揮する状態では違いが出る。


対戦相手との駆け引きや力量の兼ね合いなど、
勝利を得るためには多くの緊張が強いられる。
すると一気加勢に対戦相手に集中する。
だがそのときに相手と自分が生死を刺し違えるような意識を持つと殺気が漂う。
それはそれでかなりの集中力が生じるのだが、
同時に身体が硬くなるのです。
敏感な相手にはその殺気を感じると同時に、
身体が硬くなり隙ができたことを見逃さない。


それに対して相手と対立することを辞めてしまう方法もある。
逆に相手と『交流』をしようとする。
たとえばその相手とは野球の投手ならば、
キャッチャーや観客との交流をしていく。
潜在意識の中でキャッチャーや観客を思いやる。
この一球をうまく投げられたときには、
キャッチャーは微笑みファンも満足。
その様子をイメージしていくことで、
少しだけ緊張の糸が緩み出すかもしれない。


『精神感応』という力。
合気道では相手を受け入れる力が初めにあって物事が始まるという。
相手のパンチが飛んできた!
そのときに真っ向から力を込めて受け止めれば
「バチンッ」とすごい衝撃です。
手はびりびりとしびれてしまう。
ですがこの精神感応力が優れた達人は、
相手の攻撃の前にその動きを受け入れてしまう。
うまくパンチの方向を反らして、
相手のバランスを崩させてしまう。
精神感応力が活かせるかどうかが、
勝負の分かれ目になるだろう。


そしてこの精神感応ができるためには、
自分の身体のセンサーがフルに活用できる状況でなければならない。
つまり具体的に筋緊張があったり悪姿勢で余裕のかけらもなければ、
精神感応などすることもできない。
そして相手を思いやる気持ちや共感力も必要です。


勝負事では対戦相手を打ち負かさなければなりません。
だから相手がかわいそうだというのならば、
最初から勝負などすべきではありません。
反対に投手ならばバッターがいてくれてありがたいと感謝する。
だってバッターがいなければ投手なんて出番がないですから。


バッターに殺気を送るのではなく、
まずはバッターボックスに立ってくれて有り難う。
そんな当たり前のことじゃないの、と言われそうです。
でも当たり前のことにもしっかり感謝の念を送れるかどうかで、
精神感応力は変わってくるのです。



感謝は自分の身体を緩ませてセンサーを開きます。
すると重心はベストポジションに移行して運動性能も飛躍する。
勝負を自分の元へ有利に進めるための作用があるのです。
パフォーマンスがよくなる上に自分の身体を同時に労っているのです。

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ワーカーがワークをするときも精神感応力は大切です。


先だってアロママッサージをされている方のワークをしました。
左手が痛いので医師に見せたら半年すれば治ると言われたそうです。
ですが半年以上経った現在も治っておらずボディワイズにお越しいただきました。


背中が本当にガチガチになっており、
痛みをおしてお仕事を頑張っていた様子が手にとるようにわかります。
やはり自身の身体がつらくなり過ぎると、
『お客様の身体を治している場合ではない』という言葉が脳裏をよぎります。
それはあまりにも肉体がつらくなると、
生理的に逃避して身体を守るような仕組みがあるから。
無意識にそう考えてしまうのです。


大変すぎるととりあえず逃げたいが、
責任感が強いのでそうもできない。
そうこう戦っているとお客様のことを感謝する気持ちが薄まっていく。
自分の身体を守るためにはお客様と関わりたくなくなるのですよね。
するとどことなく殺気を出すときがある。
相手にはわからないがいつものやさしい自分とは違う様子だと思い、
その自分を観ていてつらく感じてしまう。
すると『この職業はあと何年もできないよね』という言葉が頻繁にでてくる。。。


こういうときこそ自分の精神感応力を磨くときなのかもしれません。
言うほど簡単じゃないですが殺気を出せば自分を苦しめるし、
精神感応力が保てれば自分を癒せるようになるのです。
合理的に考えれば、
今ワークをしている間だけでも精神感応力を保てた方がいい。
何年後の離職するかどうかは、
それは状況によって受け入れるかどうか判断すればいい。
離職も飛躍へのステップになるので一概に悪いものでもない。


でも、今ワークをしている間だけは精神感応力を保ちたい。


そんなことが頭の中に渦巻く今日この頃です。