『心の声でする会話』

ボディワークをこよなく愛していると、
体についての洞察力がついてくるもの。


自分の体に無言の声をかけている。
例えば右肩と左肩に声をかけると、
リアルに各々状況を報告してくれる。
そしてある種の『会話』が生まれる。
心の中で会話を挑むとそのものへ意識がつながる。


意外にやってみるとこの感覚を持てる人は多いはずです。
この静かな会話がなされているときに、
様々な動きについてのヒントをくれる。
今まで読んできた本の知識が腑に落ちたのだろう。
そこに自分なりの解釈ができるようになったのです。
複雑に絡み合っている知恵の輪が外れたときの喜びを感じる瞬間です。


ただこれは自分の体についてだけの会話では終わらない。


声を出さない会話をいろいろ楽しむことができる。


今目の前にある本達と、
今目の前にある経絡人形と、
今目の前にいない友人と。


静かに心の声で会話をする。


自分のなかの注意力がそこへ注がれることで、
『もしこの本が意志を持っていたらこういう言葉を返すだろう』
という思いを自分の頭の中に響かせることとなるだろう。
想像の産物といえるかもしれない。


ただこのイマジネーションは心の豊かさを導くようです。


心の声で会話を交わすことで、
そのモノへの親近感がぐっと近づいて感じる。
心の声で会話を交わしたモノが、
私を友達と認めてくれたような感じがしてくる。
静かな声や文字の存在しない会話(気配り)では、
虚飾をぬぐい去りストレートな言葉で会話する。
そのような率直な心が向けられれば、
モノも悪い気がしないからだろうか。


私は一人でいるのも好きですね。


それは心の会話をする習慣があるからかもしれない。
このような視点は詩的な言葉を生み出すから面白い。


そうして孤独が癒されるのでもなく、
そうして孤独が消滅するときもある。


まさにこれは洞察力を向上させるエクササイズにほかならない。
独自のモノの見方ができるようになるための修行。
そんな気がします。

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友人でも初めて会う人には普通に声を出す会話が必要ですよね。
そうしなければ変な何を考えているかわからない奴に思われる。


でも古くからの友人、長年の恋人、親、兄弟など旧知の人なら。
仲がよいときには声を出す会話がなくなるときもありますよね。


夫婦で長年連れ添うと言葉がなくても通じ合う。
そんなこともありますよね。


互いが身近に寄り添い続けると
相手の考えは手にとるようにわかる。


こんなときに、
心の声で会話をするときがあります。
そのような心の声で会話が成立する。
その心の声の会話を楽しめるといい。


心の会話は距離や時空も関係ない。



このような精神的な会話が人生を深めてくれる。
そう感じませんか?


ですが心の声でする会話をする習慣がないと、
言葉で通じ合えないとダメだという思いが強い。
これが強いと会話がなくなると不安になります。
そこにいらだちや不満が生じてくることもある。
そうするとつまらないことで喧嘩が始まるから。


心の声で会話ができる人間と共に生きることができれば、
静かで居心地のいい時間を共有できるようになるだろう。


少しだけでもこんなスピリチュアルな静かな会話が認知されるとうれしい。
今日この頃です。^-^)