型(=姿勢)の練習とイメージの練習

意拳という中国武術があります。
私は大きな誤解をしていました。


意拳では意念というイメージを活用して身体をトレーニングしていく。
それにより健康促進、養生が叶えられる。
そんな養生を目的とした点をサポートしているところが気にいっていました。


『固定した型はなく站椿(たんとう)に重きを置く』
ネットで意拳を調べるとこのように書かれていました。


単純に『そうか〜。型がないのか。それは面白い』
と思った自分が恥ずかしい。

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例えば道元は悟道の極秘として
「身を直ちにして前にかがまず。
後ろに仰がず。
左右に傾かず。
耳は肩に対し、鼻は臍に対す」
とだけその座法を伝えました。


このシンプルな注意点を守り、
座禅を組んで身心を整える。
でもシンプルな注意点ではありますが、
この中に身体の中心を充実させ整える要点がある。
立派な型指導なんです。


意拳は固定した型はなく站椿を勧められる。
冷静に考えると腑に落ちない。
『型がないはずはない!』
そのような思いにかられる。


そして複数の関連書籍をあたり、
誤解をしていたことに気づいた。


一斉指導をするならば正確な型を教えづらい。
ですが多くの人にその要点を伝えていきたい。
そのとき意念というイメージを用いられるようになった。
それにより効率的に深部筋や伸筋の動きを呼び起こす。
画期的な成果が期待できる。



だから『イメージ』はとても便利なツールです。


例えば...
『沼地に足がはまり抜けにくい。そこを歩く様に腰を低めて一定にして』
などとイメージをさせる言葉を使います。


ですが一つの言葉に対して思い描くイメージは多様です。
どのようなイメージを描くかは百人百通りある。
随分と幅が広いのです。


誰一人として師匠の伝えたい型のイメージと同じことを、
その言葉のイメージから注がれることはないでしょう。


そう考えるとイメージは便利で大切なツールだけど、
正確性に欠ける気がしてやまなかった。


でも本を読み込んでいきその疑問は解消できた。


もともとは意拳形意拳という
しっかりとした勁道をもった型がある中国武術から派生している。
当初はその勁道を発揮させる型を門人に教えていた。
だから当然の様に型はあったのです。
意拳の高弟はみな形意拳太極拳の型を身につけていたそうです。


そしてまた型(=姿勢)の大切さを痛感する次第です。