溺れない犬と溺れるアザラシ

犬は犬かきをして川を泳いだりする。
それは別に泳ぎ方を教えられたわけではなく、
【本能】で遺伝子の中に泳ぎ方が組み込まれている。
だからごくごく自然に泳ぐことができる。


ただし犬かきと呼ばれるような、
単純な泳ぎ方しかできない。


アザラシは犬とは比べられないほど自在に水中を泳ぐ。
そうしてすばしっこい魚を捕まえて生活している。
まるで鳥が空中で自在に方向を変えて飛び回り、
小さな虫を捕まえているほどの動きを水中でおこなっている。
機敏で巧み、そして複雑な泳法ができている。


ただ犬と違う点がある。


アザラシは親に泳ぎ方を教えられていないと溺れる点だ。
ごくごく普通に泳ぐのもようやっとという感じだそうだ。


アザラシの泳ぎは本能に根ざした動きではなく、
本能的な泳法はあまり刷り込まれていない。
生まれてから親の泳ぎをみて教え込まれる。


つまり犬には犬かきというパターン化された泳ぎしか与えられず、
アザラシのような泳ぎ方ができるようにはならない。
だがアザラシには泳ぎ方の本能的なプリセットされたモデルがないため、
自由に泳ぎ方が教育され創造・適合して進化していくことができる。


人間もアザラシが泳ぎを身につけるのと同じように、
親や社会に教育を受け教えられて様々な所作ができるようになっている。
他の動物以上に人間ほど本能的な動きのプリセットが少ない動物はない。


鹿は生れ落ちればすぐに自分の足を使って立つが、
そうすることで捕食動物につかまらないようにするための本能的動作だ。
生まれたての小鹿がすぐに立って歩く。
歩くには体のバランスを制御し歩くための筋力も備わる必要がある。
それがすでに用意されている。
人間は立って歩くまではずいぶん後で、
首がすわって頭を支えることも難しい。
そのような状況でしたよね。


でも用意されていないまっさらな場合のほうが、
後の教育や工夫により更なる自由な進化を体現できるのだろう。
事前に動き方の方法がプリセットしてあるということは、
便利なんだけどそのプリセットした動き以上のものを覚えるのが困難だ。
だがまっさらであれば教育を受け入れ工夫をして進化するのが当たり前だ。


だから人間は新たな動き方の技術を進化させることが可能です。


後天的に教育された内容次第で動きの質が決まるのだが、
もし不具合のある内容を覚えたとしても、
プリセットした動き方がない分だけまだ変更がしやすい。


ただすでに覚えた動き方をプリセットした動き方と早合点すると、
その変更ができなくなってしまう。


動き方を工夫する余地を残しておくと、
人の動きは技と化していき、
年々動きの質が向上していくだろう。


それが肉体年齢に及ぼす影響は大きい。
そこを見過ごしてはならないと思います。
そこに限りない可能性を感じます。