自覚した行動しか責任ある行動とは認識できない

最近読んだ本に印象的な言葉が書かれていた。


『自分が行っていることは、すべて自分が選択したことである、
という自覚を持つことです。


と同時に、自分が行うことをもっと意識的に選択することです。
そうすればあなたは何をするときにも、
常に前向きな責任のある行動をとることができます。』
(書籍:今すぐ人生を変える簡単な六つの方法/著者:レバナ・シェル・ブドラ/出版:求龍堂)P148


自分が行っていることはすべて自分が選択したっていうと、
当たり前のことにしか思えない。


だが反射的に動く仕組みはどうだろう?
かつて人間も捕食動物の獲物になりやすかった。
狼や熊などに襲われることもあったのでは?
熊に襲われたときに
「熊が来た→熊は私を襲うかもしれない→
逃げよう→ではゆっくりと立ち方を思い出して・・・」
なんてしていたら餌になってしまうだろう。


生き残るためには、
すばやくとっさに身を起こして一目散に逃げる!
そのときのスピードたるや相当なものであろう。
生き残りに無駄のない最速の動きが要求された。


その最速の動きをするときはいちいち考え込んでいてはいけなかった。


思考をはさまずに動く動き方を学習する必要があった。
脳科学の見方では大脳で一度考え学習した動きのパターンを小脳へ送る。
ここの小脳でとっさの動き方をいちいち思考せずに
熊に食われないよう逃げられる要求にこたえられるようにしてくれた。


そんなことも手伝い、
思考をはさまずに動けるようになったのかもしれない。


ただ思考をはさまずに動くという動き方をしすぎると
自分が行っていることが自分の選択したことではない、
というような妙な感覚に陥るときがある。


自分が行うことなのだが意識的に動きの選択をしなくなる。
『どこかの誰かが仕向けている』としか思えない。


そう感じるなら、
いかに責任ある行動をとれるだろう?


上記させていただいた
『自分が行っていることは、すべて自分が選択したことである、
という自覚を持つことです。』はシンプルに核心を突いている。
この言葉は思考せずに動いている自分の行いも、
突き詰めて考えればすべて自分が選択しているに相違ないといいます。
ただその自覚をしづらくなっているから気を付けなさいねといいます。


『自覚』とは思考せず行動したことさえも自分が選択した結果と迫る。
鋭利な短刀を突き出されたような気分ですね。


ただこの自覚が満ちていくことで自分を活かす術をえたことになる。
そんなことを教えてくれているように思えます。