問題を嫌わず正面から向き合う姿勢でいればいい

以下先ほどお客様にメールを書かせていただいた内容を、
ちゃっかり加筆訂正しつつ転載させていただきます。
m__m;


=====ここから=====


アレルギー封じのことですね。
花粉症の例で言えば、


「私は花粉を好きになることはできません。
ですがもうこれ以上嫌いになろうとは思いません。
だからこれ以上のダメージが身に降りかからないよう
お願いいたしますね」


というような感じの言葉です。


花粉を目の敵のように感情的に嫌で嫌で
あっちにいけあっちにいけと思えば思うほど
もっともっとアレルギーの症状がつらくなるのです。
それがストレスとアレルギー症状の比例の法則です。
だったら嫌でしょうがない花粉に戦いを挑むのではなく
こころから花粉にもう私は君をこれ以上嫌わないですよ、
という感じで胸のうちにすっと受け入れてしまいます。
そうするとさっきまで嫌で嫌で感情的にあっちにいけ!
と必死に花粉に抵抗しようとして鼻水や涙をだしていたのが、
こころからの「もうこれ以上嫌わない」という感情が芽生えると
鼻水や涙が半分ほどに収まってしまう。


不思議なことに思えますが、
抵抗してもがこうとばたばたしすぎて緊張して
本来持っている免疫力を後退させていた。
人間は緊張したり興奮したり嫌になったりすると
免疫力が極端に落ち込むということは科学的にも
証明されています。
嫌えば嫌うほどアレルギー症状を自らきつくしていたのです。
抵抗せず心静かに少しだけ受け入れる気持ちになると、
体が嫌だ嫌だと思って萎えて弱っていたさっきと違い
花粉を幾分か受け入れても適切に対処できる力が強まり
本来のその人のもつ免疫力が発揮できるようになります。


他にも対人関係上の問題などでも
同じような考え方が当てはまります。
「私は彼または彼女を好きにはなれませんが、
これ以上は嫌いにならない」
というように少しだけでも受け入れるこころが得られれば
そのこころが相手にも不思議と伝わることがあるようです。


問題を見つめても緊張しなくなると
問題と正面から向き合う姿勢が持てるようになり
そのときに眠っていた解決能力が自動発揮される。
私にはそんなようなものであるよう感じています。


とのようなものであります。


=====ここまで=====





話は多少それますがどこぞで読んだ本に、


『王がいる場所より、王心がいる場所のほうが尊い


といったことが説かれていました。


権力の象徴の王よりも
思いや気持ちや考えが王道に至るもののほうが尊く徳があるといいます。
モノや権力などを持つ以上に心を磨く修行をし王心に至ることを切望する。
真の成長と安息はそこにしかないというのでしょう。
私は深遠な禅理の考えは修行が足りずわかりません。


私が好きな『センサリー・アウエアネス』のような
動作や感覚からの気づきを深めるエクササイズは、
禅の大家・鈴木大拙の影響を色濃く受けています。
気づきを深める禅問答のごとき問いを自らに課し、
熟慮探求していく。


そんな実践をすることで王心に近づくのかもしれませんよね。



また剣禅一如で有名な山岡鉄舟の無刀流では、


『事と理の二つを修行するのであるが、
「事」とは技であり、「理」は心である。
その事と理の一致するところをもって妙所とする。』
と説いています。


技も必要ですが心の理も重要視しているのです。


「事」と「理」を陰陽で分けてみると、
技が目に見える「陽」で、
見たり触ることもできない心が「陰」でしょうか。



目に見える技ばかりに気をとられ心を使わないときには、
山岡鉄舟は門下生にふがいないと檄を飛ばしたようです。


私には「私は彼または彼女を好きにはなれませんが、
これ以上は嫌いにならない」という考え方は、
自然体で柔軟な対応ができる心を磨く
レーニングになるような気がします。


いかがなものでしょうか?^-^;