各々の先生のやり方は違うからいいと思う


福沢諭吉により慶応大学が創られた当時、
「半学半教」を実践していた。


「半学半教」は、学んだらそれを後輩に教える。
学生であると同時に教師でもある。


教えることにより学を深めることにもなる。
優秀な教師を増やすこともできる。


すばらしいシステムだと思う。


施術やワークを学ぶところでも
そのようなシステムが採用されればと思う。


だが自分が望むスタイルで追求したいものが明確であればあるほど、
自分の学に割く時間が大切に感じられる。
実際問題として学びが深まれば以前にもまして時間が必要になる。


それに教えることは相手がその大切なことを知らないということが前提。
そのような場合には、
人格が整っていなければ知っているものの自信が相手に押し付けを生む。
ときとしてそれは卑しい気持ちを両者に芽生えさせてしまうでしょう。


以前、自分の学んだことを伝えられればと願ったこともありました。
ですが私が学んだことはまだまだ未熟なものであり、
未熟さゆえに穴を隠すためにあいまいにしたり、
間違いを気づかずに教え伝えることにもなる。
そこの責任は自分ひとりが負えばよいと思う。


他の先生は各人のスタイルでいいしそれが最高です。
私がとやかくいえるものではないんです。
たとえもし今は初学者的心境で
心もとない気持ちでがんばっておられても。
独自の修練具合により大樹となられるはず。
私が私の流儀でとやかくいいすぎてはダメ。


そのことに気づき接することができるまで、
ずいぶんかかりました。^-^;


そう素直に思えるようになりました。


そう思えるようになると
逆に人に教えるのも気が楽になる。
実際は時間の都合がつかないから
身内に教えるレベルでとどまりますが。
でもずっと肩を凝らせず教えることができるようになりました。


不思議なものです。