施術者の苦悩。

施術をしている先生同士で話し合う。


そのときに一番つらいのはどういうときか?というと、
肉体的に厳しいときや対人関係で疲れたとかさまざま。


どれも一理あります。


確かに肉体的に厳しいときも多く無理をすることもある。
腰痛や背部痛や呼吸がしづらくなるなどは序の口です。
肘や指から血が吹き出ているのをテーピングで隠して、
痛みをこらえて施術をした経験を持つ人もいますよね。


対人関係ではお客様との話の行き違いもありますし、
多人数の施術者が働くところでは先生同士のことも。
いろいろとあるものです。


ただ思い上がった心で施術をするときほどつらいものはない。



自分の施術の腕に自信が出てきて
「これほど勉強したし修行をしたんだ。
だからかなり施術の腕には自信がある。」
そう自信を持ち始めるときがこわいと思う。


勢い「井の中の蛙」になってしまう。


これほどの腕を持っているのだから、
自分に対し正当な評価を患者がすべきと思い始めたら目つきが変ってくる。


気づいたら大切な友がよりつかなくなり職場で孤立しだす。


もちろんその方は十分すぎるほど熱心に勉強してこられた。
だから人をあっといわせるような技や知識を持ち合わせる。
ただ自分の技術を出し惜しみしたくなる気持ちが出てきて、
こころに混乱が生じることがあったという。
だがそれで生計を立てていくためには、
やらないわけにはいかない。


そのようなときの苦しみが半端ではないといいます。


「自信」はときとしてある側面で見てみると、
次のような潜在意識が働いていることがある。


自信を持つことでなんらかの不安を隠したい、
というものです。


いろいろ学ぶともっと学んでいかねばならないことが見つかる。
それこそ分量も難解さもうなぎのぼりで途方もない。
自分にそれができるか不安だ。。。
知的にはそのような途方もない壁を見つけている。
だがそこまでしなくても、
もうそこそこ他の先生よりもうまくできているじゃないか。
これで自信をもたないでどうすればいいのだ?
といような自信の持ち方があるのです。


単純に天狗になっているというだけじゃない。
もう少し複雑な場合です。


そのようなときの復活法は、
途方もない壁と思えたものに、
もう少し手に入りやすい魅力的な自分だけのゴールを設定をすればいい。
閉塞した息苦しさから抜け出しまた前を向いて走り出せます。