観える動作と観えない動作

観える動作とは外から観察して学べる動作。
たとえば板前の見習いが兄弟子の包丁捌きを見て盗むようなもの。
手取り足取り教えてもらわなくても、
卓越した観察力と体の再現力があればある程度は学べる動作です。


ならば野球の優れたバッターがいたら、
そっくりそのまままねできればいい。
でもまねしきることは難しいですよね。
科学的分析を加えてもイチローの真似をしきることはできない。
体の外側の動作からだけでは真似られない次元がある。


そんなところに「見えない壁」を感じます。
ではどうすればより近づくことができるでしょう。
そうなると「観えない部分」を知る必要があります。


施術者が施術をするとき。
やはり観えない部分で工夫をする先生はおられるようです。


たとえば十字式背骨健康法の「超医学の謎」という本には、
p22に十字式を生み出すきっかけが書かれています。
一部要約すると、
『仏教の真言を千回唱えると食塩水より凍りにくい水を作る
真言密教のお坊さんに会いました。
ある日、獣医だった阿久津氏が助かりそうもない馬を診た。
しかたなく馬が死ぬ前に馬肉にするため肉屋を呼んだ。
だがそのお坊さんだまされたと思ってこの水を飲ませなさい
といい真言の水をいただいた。
それを飲ますと馬はけろっと立ち上がった。』
と書かれています。
不思議なこともあるものです。


もし無理やり科学的に解釈しようとすれば、
人間の手のひらは健康であれば10Hzで振動します。
ですが人間が発する言葉はその振動数を可変できる。
真言という特定の響きを持つマントラを唱えれば、
意図した振動数を作成できる。

そこに秘密があるのかもしれません。
無論それはお坊さんの並々ならぬ修行の賜物。
誰もができることではありません。


誰とは口外出来ませんが私の知る施術者は
このような真言が唱えられればと、
真剣に願い練習していますし。
実際に彼の手にはつらい修行を乗り越えた成果がでています。


私はさすがにそこまで熱心に真言を学んではおりません。
そんなことはできません。^-^;


私が観えないところでしているものといえば、
オーソドックスに知識を深めること。
知識上の道理が通らないことはできませんから。
当然なようですが人の技を本などで観たりするときも、
意外に道理が通らないことも書かれています。
自分なりにそれを積めて考える過程を通す必要があるのです。


ある意味でいいますれば、
この知識を深めることは教材なり着眼傾向などが似ていれば
さほど真似ることは難しくないでしょう。


あとはイメージで自分の体を誘導していくこと。
心理療法で催眠誘導をするとき、
イメージを用いることがあります。
バレエダンサーがしなやかに筋肉を動かす秘密や
意拳の集団での練習の場合などでもイメージを用いて練習します。
つまりイメージとは体の動きを様々に変化充実させるカギになる。
イメージをリアルに、そして精巧に的を得てプログラムしていく。
自分の体の特性を理解してカスタマイズしたイメージには
体はひとりでに反応してしまうものなのです。


ひとりでに反応して動くときに力みが減少し
体全体が連動して一体化してきます。


だから私がやっているワークなんかは
外見上は施術への理解や経験があれば
なんとなく真似することはできます。


ですが私の体を動かすイメージがわからないと成果としていまいちだったり、
真似された方が腎経・胆経などの経筋をひどく傷めたりするようです。


ただこのイメージを伝えることほど難しいことはない。
イメージでは部分と部分の位置や空間などを瞬時に把握できる。
それも体の中の全体を見渡した断層レベルでの把握がしやすい。
それを言葉にすれば膨大な情報を含んでいます。


私にはまだここが見えるはずなのに見えてこないという
歯がゆいところがおおくあります。


すばらしい先生方は自分のやり方を極めようとしています。
本当はそういう先生方の秘めた工夫のさわりを表した本があれば
面白いと思うんですが。
・・・でも、きっとそんなマニアックな本は売れないだろうな〜。^-^;