禅ライフスタイル


お客様には長年にわたり臨済宗寺院などで禅修行をされている人もいます。


先だって山岡鉄舟ゆかりの臨済宗全生庵の座禅会に参加された方も。
全生庵の座禅会は私もいつか参加したいと思っており、
お客様に座禅も「いいかも」とお勧めいたしました。
すると勇気を持ち座禅会に参加なされました。


はじめての座禅会。
勝手もわからず緊張します。
ましてや参加するほかの方々の様子や人数もわからない。


私の想像では多くて10名くらいの参加人数かと。
でも実際は堂内に80名もの人数が座禅を組んでいた。
それにかなりの常連さんもおられるようでして、
その方々がお心広くお茶菓子などを振舞ってくれる。


よい感じですよね。


ここで(弟子丸泰仙師)の禅句を挙げさせてください。



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歩くも禅


座るも禅


話をしようが、黙っていようが


動こうが、止まろうが


身体は常に平静


剣を眼前に突きつけられようと


心は沈着そのものだ


顔に毒をつきつけられようと


心は泰然としたものだ


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出典:『禅の言葉 / コレクション<知慧の手帖>』


ムーブメントを主体にするボディワークの多くは
禅の精神と交わるところがあります。


感性を研ぎ澄ませ、
虚飾を拭い去り仏性を磨く。


単純で質素な生き方を選び抜くことが、
自然と共鳴する生き方をかなえさせる。


そうして人間が持つ身体の能力を開花させることにつながるでしょう。


まさにその原理を『身体の合理的な使い方の追求』に応用します。
つまり禅行思考が生活に根付きだす必要があります。
生活に根付くとは、
週に一度程度ムーブメントを教えてくれるレッスンに通うのだけでは・・・、
ちょっともの足らないかもしれないということです。


上記させていただきました禅句にあるように、
心の平静と沈着と泰然のもとでだけ気づける
ごまかしある自分に違和感を観て、
禅理を得ていくようにしましょう、
というのですね。




まぁ。。。


私にそのような崇高なことができているとは思えません。


ですが禅修行が、
成長の鍵になる。
そう感じられています。


ただ次のようにならないよう注意しなければならないとも思います。


明治時代にある高名な禅僧へ禅の真理を聞きにきた大学教授がいました。
禅僧がお茶をお出しするときに湯のみ茶碗へ急須からお茶を注ぐ。
徐々に湯のみにはお茶がなみなみ注がれて、
ついには教授が「もう結構です。お茶があふれています」という。
禅僧は、
「この茶碗のように、あなたはご自身の見解でいっぱいになっておられる。
そんな人に、どうして禅を伝えられましょうや」


といわれました。


自分の見解があるのは結構。
だが受け入れ要領が狭くて、
すぐあふれるようでは話にならない。
頭でっかちになる私には教訓となります。^-^;