損得にかかわらずにといった商人。


山岡鉄舟が浅利義明の門下で剣の修行をする。
どうやっても浅利に勝てなかった。


常に鉄舟の脳裏には浅利の影がちらつき離れない。


そのおりある商人が次のようなことをいう。
「商売というのは損得にかかわらずにいると、結局は得をするものだ」
商人として生きる道を知る只者ではない人物。


鉄舟はこの言葉を聞き開眼したという。


鉄舟は禅の修行をしていた。
それが手伝いこの言葉に感ずることがあり剣理を会得するに至ったのだろう。
後に一刀正伝無刀流を開いた。


損得を抜きに考え尽くしてみる。
そのとき得がくる。


人は損得を勘定して行動する。
誰に教え込まれたものでもなくそうしているようだ。


損をしてはならない、
得をしたほうがよい。
と。


人それぞれが何を損とするか得とするかは違いがあるはずだ。
だがやはりこの損得というフィルターを通して思考している。


人は損をしたくないと思えば身をすくめ緊張するだろう。
人は得をしたいから安易な得に飛びついてしまうことも。


損得を意識すると緊張して身をすくめるのかもしれない。
鉄舟が浅利の前ではどうにも勝てないと思う心の裏には、
鉄舟なりの損得勘定が働いていた。
さすれば軸がぶれている


損得勘定にしがみつけば勝てぬ。


それを手放したときに、
浅利義明は鉄舟と立ち会うとき
「もうあなたは私のはるか先をいかれた」といわれたそうです。
只者ではない両人。


江戸無血開城を決した勝海舟西郷隆盛の会談に先立ち、
官軍の駐留する駿府(現在の静岡市)にたどり着き、
単身で西郷と面会。


山岡鉄舟のこのときの働きは大きい。
西郷と勝がすでに顔見知りであったが
今のような携帯電話で話が通る時代ではない。


自分の命を十中八九に損なうお役目です。
山岡がこのお役目をつとめるときの朝は
いつものように質素なご飯をいただき
「それではいってまいる」という感じ。
平素のお出かけのような挨拶でした。
あとは天命に従うのみ。


もし鉄舟が命の損得を考えれば命を落としただろう。


挙動不審人物が官軍本陣めがけて進むなら。
それが山岡が本陣まで堂々と急ぎ走る姿に、
官軍側はなんかヘンだなと思っただろうが。
困難もあったろうがするすると街道を通っていけた。
それにあれよあれよといううちに西郷とあっていた。


あっぱれな偉人です。


その偉人を開眼させた商人の言葉をかみ締めたい。