誰かが助けてくれるのではなく、自らを助ける自覚を。


たとえばマニュアルや本があればそれを見れば気軽に学べるだろう。
できあがっている知識を伝えるとき、
与えられる側が受身であれば思うように伝わらないことがある。


教え方が悪いとかどうだとか不平不満が先に表れるでしょう。


人は本当にその知識がほしいと思わない限り、
能動的に頭が働かないようになっているから。


だからその知識がのどから手が出るほどほしい!と思えると、
マニュアルや本のような書類化されていないメモ程度の形式でも
ほしい人はそれをむしりとって自分の糧として成長していくもの。


実は施術でもマニュアル化できる書類伝達物としてあらわせる部分は
ほんの一部だけだといえるだろう。
そこには文章化できない多くの暗黙知から構成されている。
丁寧な基礎力をつけてくれるよう指導する先生ならばそれを指導する。
だがマニュアルなどの本ではそれを伝えられるはずもない。


日本の伝統的な寺社仏閣の建築物を手がける宮大工には、
宮大工用のマニュアルなど用意されていないという。
どれだけ真剣に師の一挙手一投足を見て試行錯誤し、
その末に大切な伝統的に伝わる技術を盗み取れるか。


そのようなものでして、
誰かが丁寧に教えてくれないとという甘えは通用しない。


「誰かがなんとかしてくれる」という発想はよくないのです。


もし成長したいならばそのような発想に陥らないことです。


自分で生きていかねばならないという自覚が大切です。


そういう気迫ある学ぼうとするものの目は、
鋭さや輝きが違いますよね。


日ごろからそんな自主的で主体性ある考え方をしているものは、
誰に教わるでもなく独自の道を切り開いていかれるものと思う。


最近はこういうのは流行らないかもしれないが、
職人の世界はこういう側面を持ち続けてほしい。