「素人にもわかりやすく伝える技」をもつ先生

昨日は大田区プラザで合気柔術のレッスン。


お客様が個人レッスンで教わっている先生に
私の見学・参加を願い出ていただき実現したことです。
T先生にはお世話いただきありがたく感じております。
教えていただきましたO先生にも感謝いたしております。


施術をするに際して合気柔術の術理が役立つのではと
配慮していただきました。


明快な説明です。


昨今では合気道などでは解説書もでてます。
ですがそちらの説明を読んでもなかなか身につくものではない。
知識として獲られたものと、
身に着けたものとはことなります。


知識を得ることは悪いことではない。
ただしそれだけでは活用すべき局面で
熟達した技として発揮できないのです。
益がないのです。



10年かけて修行せねばつかめない用法を
積極的に教えていただきました。


楽しく内容の詰まった4時間でした。


あとは教えていただきましたことを
十分に自分の血と肉になるよう修練。


O先生が合気柔術の術理を伝授していただけましたこと以上に
感謝したいことがあります。


それはO先生の合気柔術初心者に対して伝える姿勢。


物腰柔らかくちっとももったいぶらずに偉ぶらない。



そう思えてくる。



もちろん十分に考える時間を相手に与えることは大切です。
私もそのようなスタンスは好きなほうです。
ある程度のヒントになる指導をいただき、
あとは自分に考えさせてください。
回答ができましたときに観ていただきますから。
という感じでしょう。


ただ数年間の時間をそう費やせる人ばかりではない。
そこで縁が切れてしまうこともある。
初伝も受けられずに興味がうせる。
実にもったいない。


だがO先生は、
高度な専門知識を「素人にもわかりやすく伝える技」をもっておられた。


コミュニケーターとして能力が優れている。
暗黙知を言葉にして粘り強く教えてくれる。


「下段者には上段者の力がわからない」といいます。
学びたてでは自分よりも上のものの力量がわからないということ。


それに対し「上段者には下段者の力量は透けて見えるもの」という。


透けて見える分だけ自分が上段にいることを誇示したくもなる。
どうしても「こんなことも知らないのか?!」となってしまう。
何度も同じことを質問されれば重たく感じてしまう。


そういったことで上段者が下段者をまさに下段として扱う風景。
そのような場面を多く見てきた。


施術屋さんの業界でもそれはある。
私は初学者の方に技をやさしく教えるような人と
いっていただけることもあります。
だがそれが十分な至誠とはなっていなかったのだろうなと思える。
自分自身のココロの貧しさにちょっとしょげる気分でした。


それだけではない。
自分が苦労して開発してきたものをやすやすとは配りたくない。


そのような心理的なブロックも
大志のもとに消去しておられた。


できることではないと思います。


「素人にもわかりやすく伝える技」に、
熟成された人柄を感じ学ぶことがありました。


いずれ施術の方法を一般の方に伝えたいと考えています。
そちらに対しての悩みが深かった。
ずいぶんそれが消えたようです。