人体各所に潜んでいる重心の存在を認識しよう

重心の存在

「やじろべえ」というおもちゃ。


これであそんだことありますか?


左右におもりをつけたやじろべえ。
おもりが重いほうに傾きます。
おもりが両方軽すぎればぐらつきます。
おもりが左右同量の重さのときつりあい軸が垂直に。


重心というキーワードも思いつきますね。


そんなこと誰でも知ってるといわれますが、
そうだと思いますが、
もうちょっとお付き合いを。


では自分の体のパーツのそれぞれすべてにもこのような
重心点が存在しているといったらどうでしょうか?


頭、首、肩、腕、脚、胴体、そしてそれらをより細かくパーツわけしても
やはりどちらかに重心点を見つけることができるのです。


たとえば長方形のノートの下に敷いてつかう下敷きにも重心点があります。


下敷きを横に寝かせて持ち上げます。
そして重心点に指を添えるならば
ゆっくりと上下に動かしてもそれほどゆれない。


ものすごく安定している。


重心点にここだっていう下敷き全体をコントロールするすべがあるのです。


もし重心点から数センチずれれば指先一本で支えることはできません。
また多少でも重心点からずれれば下敷きは
斜めになり上下に持ち上げようとしたらすぐに下敷きの重い側が
加速で重さが増して傾斜が強まりぐらつき落ちるわけです。


ここだっていうジャストフィットする重心点があって、
ここに設定をあわさなければ動く際の制御が困難だと。


そういうことが人体の全体でもいえるのですけれども、
頭ひとつ、腕一本などおのおののパーツにもあるのです。


そして重心をうまくとる、つまり丹田を求めるのは、
それら頭の重心をとらえ、腕一本の重心をとらえ、
全身のおのおののパーツをとらえてその統一が丹田の一点に集まる。


そういったことなのです。


だから丹田をとばかり申しても、
頭の位置がずれていたり腕の重心点を把握できていなかったりするなって
思えるようなときにはあまり精度のよい丹田の力が得られるわけではない。


バランスを生かして動きましょうというときの考えには、
この細密に分けられた重心の把握と配分を計算して動け、
ということとなるのだろうと思います。


私もまだ口ほどでもないんですけれど、
少しずつこのような意味を理解すれば、
観察力が鋭くなっていくようです。


私の目では
人体をたとえば20分割して重心点の正解位置にあるかどうかチェック。
もっと大まかにすることもできるし、
もっと精密にみることもできますし。


ですから人と対面したときに
ここの重心点をちょっとこっちに持ってけばつりあうのに。。。


などと心中いろいろといいたくてしょうがないときもある。


施術のときはそのようなことを少しずつ噛み砕いて伝えられますが、
普通の友達づきあいではそのようなことばかりは聞かせるのも失礼。


できましたら自分の体のひとつずつのパーツをわけて考えてみて、
どこに重心点があるか確認してみてくださいませんか?


脳に重心点がここにある!って教え認識すれば、
動くときの感覚が鋭く軽くなるでしょう。