目黒不動尊近辺の散歩
今日は節分ですね〜。
昨日の夜。
出張帰りで目黒駅から下車して徒歩で自宅まで帰りました。
途中に、いつも立ち寄らせていただいている
大鳥神社、
窟弁天で有名な蟠龍寺、
目黒不動尊を経由して帰宅。
余談ですが。。。。。
○大鳥神社には目黒稲荷という、
目黒という当地の名をいただくお稲荷様の末社がございます。
○窟弁天で有名な蟠龍寺は、
江戸裏鬼門封じの弁天様。
ことのほか重要な仏閣。
おしろい地蔵もあります。
このお地蔵様の額におしろいを塗り、
その余りを自分の顔に塗ると美人になるそうです。
ただあまりにもこすられて擦り切れて縮んだお地蔵様。
がんばってこすられたんだなって目頭が熱くなります。
○目黒不動尊では今日の節分の行事に際して、
準備万端整えられた会場設営という感じで
まめをまく高台がつくられていました。
独鈷の滝という滝がありまして、
滝口は金色の玉を持つ龍の口です。
仏教の教えでは
「何かを得ようとばかりせず、不要なものを捨てることも修行だ」
といいます。
龍が持つような金色の玉は誰もの胸の中にひとつずつある。
その玉を磨くためにはこころにこびりついた捨て去るべきものを洗い流せ。
そのような意味合いがあるのだろうと感じます。
そしてこの金色(こんじき)の玉を持つものは、
必要なもののすべてを引き寄せて願いを適えると申します。
まるでとりやまさんのドラゴンボールのシェンロンですね。
龍が持つ金色玉はすでに
誰もが心として持っていると仏教では教えくれている。
そうであることが前提であるように私には思えてなりません。
ただその金色の玉に光り輝くまで、
不浄に身に着けたものをたゆまず磨きをかけるかどうか次第。
その地にたどり着けるかどうかの可能性は私にもあるはず?!
目黒のお不動様という強力な力を現す聖地では、
そのようなことを考えますよね。
龍が持っている玉を奪い取ろうとは考えないように!
あなたも私もすでにそれを持っているんですからね。
そんなインスピレーションが
独鈷の滝で耳を澄ますと聞こえてきますから。