「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」

奇跡のりんご農家で有名となりました木村秋則氏。
苦節11年かけ無農薬で無肥料という自然農法でりんご育てた人物。
大変に心打つ。


試行錯誤していても
ただひとつの花や実をつけてはくれないりんご。
それが家族への申し訳なさから自殺をしようとかんがえたときに
山々の木々は誰にも肥料をもらわずに育っていることに気づき、
自分の畑の硬くなった土と自然界の柔らかい土の違いを知った。


りんご以外の自家用農園では農薬も使わず草がぼうぼうの状態でも
しっかり収穫出来ている。
野生のりんごは肥料を与えられなくてもなっている。
そちらに眼を向ければ貴重なヒントがありましたが。



わかってしまえば人は「当たり前じゃん」というかもしれない。
だが人間はあまりに目の前にあるものは見過ごしやすいのです。


常識は常識だと疑う視点さえももてないところが弱いのです。
欲しい情報やアイデアを手に入れるときには、
意外に目の前にあるが見過ごしているもののなかにあるのではないか?
目に映ってはいるもののその重要性に気づいていない。。。


アルキメデスアルキメデスの原理を発見したときに、
叫んだユリーカ(わかったぞ)!
そう叫びたくなるでしょう。


その答えを誰かに教えてもらえばシンプルな解答でしかない。
だが先頭を切ってシンプルな解答をえることのキツさは、
語っても語り尽せないところがあります。
本当によく頑張られたものだと感動です!


そして解答を得てから自信を持ってその道に突き進むときは、
今までの暗い道を手探りで進む不安は消えて疲れを知らず積極的になれる。



木村秋則氏が土の大切さを気づいたのが
自殺を思い立ってロープを木にくくりつけようとしたとき。
そのようなときに開眼したといいます。


「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」
溺れかかったときは、あがけばあがくほど深みにはまる。
捨て身になって流れにまかせれば、
やがて浅瀬に立つこともできるとして言うことですけど。


捨て身になって流れに任せること。


そういった極まらなければ得られないこともある。


そういう偉業をすることができるのは、
純粋で無謀な夢多き頑固者だけだろう。


木村氏のエピソードを読んで、
そうひしひしと感じてました。


施術というのも、
問題症状を改善する目的に応じ様々なものへと分化しました。
整体やカイロプラクティックオステオパシーやその他、
細分化して数えれば数百もの施術方法があるのでしょう。


だが私には施術方法にも
本当はもっとシンプルで画期的な解答があると思う。


自分の自家農園という身近なところにあった答えを
日々みても気付かなかった木村秋則氏のように。


私にもユリーカと叫びたくなるような施術方法が目の前にあるのに、
気付けないのではないか。
そのようなことは昔からずっと頭の片隅にあります。


身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ・・・。
捨て身になって流れにまかせるとは、
どのようなことなのでしょうか。
どうすればいいのでしょうか?


いまだにその答えが出なくて、
非常にもどかしさがあります。


神社仏閣巡りをしているとき、
いろいろとどうすればいいか
インスピレーションが湧くが。


それをなぜだか実行に移せず
日常の仕事に押し流されてる。


シンプルで画期的な身体アプローチ法を見つけだして世に広めたい!
その気持ちはあるものの、
何も出来ていないのです。


困ったことです。--;