いざという時のために準備すること。


先日のサッカー日本代表本田圭佑選手が、
「準備」の大切さを強調していました。


十分に事前の準備をすること。
たとえばそのひとつが次のようなものだ。
本番前の試合に今が本番だと極度のプレッシャーをかけていく。
メンタル面で極度の緊張状態を味わう。
精神的に単なる練習試合ではなくなり、
脳内のアドレナリンもでて実践での自分の動きを試せる。
本戦で発揮できる自分の力量を知ることが重要でしょう。


冷静に準備できる頭は準備に何が必要かを教えてくれる。


具体的に判明した課題をクリアできるめどがあるならば、
それは十分な本戦の試合に対しての自信を与えてくれる。


自信は肌で感じられるような動的な皮膚感覚であり、
漠然としたものは役に立たず本番で筋緊張を強いる。
そのため嫌われる。


それにしても、
本田圭佑選手のように
気合を込めて準備をしていくから万全だと言い放てるのは。
ものすごいポテンシャルと今後の飛躍を感じてしまいます。



いざという時のために準備すること。
それは私どものような施術の仕事でも必要です。


私どもも常に準備に追われているところがあります。


ただ施術をするものは先生だからというプライドが邪魔をして
自分が「完成したものだ」といいたくなることもあるようです。


自信ある施術の提供は必要ですが、
自信とは今、持っているベストの技術と労力を提供するということ。
日頃の準備からしか生まれてきません。
個人的にそう考えています。



名だたる施術者は一生勉強だというようなことをいっている。
「先日までは僕はこう考えていたが今はそれが間違だった」
「今はこれが正解だと思うが、数日後は変わってるかもしれんな」
ということを真剣な顔で言い放つ。

素晴らしい技術を持っている先生がこのようなことをおっしゃる。
研究により視点を深められれば、その深さ分だけ見え方が変わる。
視野が広まると同時に、
盲点が小さくなるのです。



「自分は絶対に負けない自信がある。それは十分に準備をしてきたからだ」
といえるようなほどの努力を惜しまない姿勢と心意気。
そして結果を出すこと。


施術の世界も奥が深い。


絶対に負けない自信があるといえるほどの準備をするには、
どれほどのことをしなければならないのだろうか。
ですが勉強したらした分だけリターンがあるのもこの世界。


本田選手は、
「自分を天才なんかじゃないから準備をしなきゃだめだ」といいます。
自分の頭で考え、体を鍛え、技を磨くという実直なことが大切ですよ、
と教えていただいたような気がしました。


感謝。



私も日頃の施術では自分の緊張度を高め能力を150%出すように、
今は修行の意味合いでがんばっています。
何でもないように動く一挙手一投足には、
一回の施術ごとに気づきを得て成長していきノウハウの積み重ねからです。


そのような気持ちで日々の施術に取り組んでいきたいですね。


私に取りまして本番というと、
身内の病気のなりかけのときに、
かなり重症化したものもあったが
緊張もせず頭がクールになり結果が出せました。
日頃の準備でしてきたことを本戦でもおこなうようなもの。
かえって身内の方が気分的には緊張しないでいいですよね。


そのようなことがここ数年で何度もありました。
私は別段、難しいことを申すわけでもなく、
さささっと施術をしてリリースをしていく。
脳が汗をかくことに慣れている。


「なんとなく息がつけるようになったよ」といわれるのも、
状態が重症度が上がればそれ自体が難しさを伴うものです。
対処的な施術では数日かもって数週間すぐもどるでしょう。
もうちょっとしっかり根っこの部分を緩めれば状況は改善。
そこがどこかというところを探るのが私の準備ですね。
人間を整体させるためにはどうすればよいのだろうか、
私なりの仮説を立てて対策を具体的にうち出すことです。


そんなことをしているときに思うことがあります。
実際の話し過去に父が多くの医者や著名な施術院に
ジプシーのようにお金をかけて通い窮して
亡くなっていったことを思い出します。


よい先生に巡り会えず運がなかったのですが、
正直に申せば私の父が通いました施術院の先生方は
準備が不十分なようであったと感じています。


十分な準備というものも、
業界的に基準はないように思えるところがあるので仕方のないことですが。
私にしてみても、
今までお会いしたことがなくて施術を受けられたことがない方には、
なんらのことも証明なりなんなりできていないものであるのも確か。
辛いところですし、
悔しいところです。



今の私の施術の力でしたら、
腰仙部の椎間板ヘルニアを緩めていくことは十分にできます。
そのような状態の方を対応させていただいた例が多くあります。
いまだにもっとよい対応法はないかと準備していますから。


ただもう父が生きておらず
先程、送り火を炊いて送り出しました。
そのことが心残りですね。