優れた施術の弊害とは?

一昨日前に青山墓地を抜け乃木神社に。
こちらを歩くのも1年ぶりでしょうか。


そして青山のブッククラブ回にも立ち寄りました。
すると
「健康生活の原理−活元運動のすすめ−」
全生社(http://www.zensei.co.jp/)という
野口整体創始者野口晴哉先生の本が平積みに。


なぜ「健康生活の原理」が平積みなんだろうと思い、
かつて読んだことがある本なので懐かしく手にとってみました。


この本の中で野口先生は自身が整体という治療から手を引いた話しがあります。


いまはこの本が手元にないので、うろ覚えになるのですが、
野口先生が治療から手を引いた理由は次のようなものでした。


『治療するということは、他人の不摂生の後始末をやっているようなもの』
という言葉が印象的でした。


野口先生は、私などには到底理解出来ない様な治療の技術を持たれていたようです。
大変に優れた技術を持つということは、
患者を治す対応力に優れているのですが、
反面、患者がなにか自分の身に起きても
野口先生に簡単に治してもらうからいいとなる。
そうなると自分の体を養生させることを怠り、安心して体を壊しだす。



自分の体のことなのに他人任せ。
依存心が強くなる。


そのようなことを助長させて、
いつしか体を治そうとする努力を怠け出す。



そのことに陥ることへと自らの治療技術が加担するのは潔しとできない。


私が憶測すると野口先生は患者様を治したい気持ちはありつつも、
施術で治すことの弊害に気づいて深く深く苦悩したことでしょう。
患者様に、自分の体をほんとうの意味で愛し大切にして欲しかったのです。
かえって野口先生の偉大な施術の力が、そうさせることを遠ざけてしまう。


野口先生は、
だからのちには患者自身が自らを癒す「活元運動」や「愉気法」を
指導するようになっていくのでしょう。


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私には野口先生のような、
偉大な施術技術があるわけではありません。


野口先生ほどの深刻さで施術で治すことの弊害を
苦慮しなくてもいいのかもしれません。


ただ施術を受ける際に、
自らが積極的に自分の体の声に耳を傾けようとする人と、
そうする必要がないと考えている人では自ずと厳然たる違いが生まれます。


ですが・・・。
施術を受けるときのはじめ頃は体が相当に辛い方もいます。
あまりに辛い状態だと、とりあえずどうにかこの苦しみが癒えて欲しいし、
楽にならなければ体の声を聞く余裕もあったものではない。


そのようなときは、
まずは施術にて体のコンディションが少しの余裕が得られてから、
健康を維持していくための知識を積極的に学ぶようにしてもいい。


結局は、
自分の体を他人まかせに頼っていては、
使い勝手のいい肉体へと成長することができません。


私は、体の可能性を向上させる努力を積む積極的な人が好きですね。
そのような方でしたら私の施術をほんとうの意味で役立ててくれる。
そう考えています。