無心の境地を体感する大切さ

さまざまな無の境地に至るための方法があるでしょう。


坐禅をする。
瞑想をする。
好きな趣味に没頭する。
他、様々です。


自分の殻を脱ぎ去るにつれて
感覚は研ぎ澄まされていく。


無の感覚を得られたときに、
潜在していた力が発揮できる。
そちらを利用出来るかどうかは、
人生の本質に関わるような違いを生み出します。


先日、ヒクソン・グレイシーが書いた本を読んでいたら、
彼が若い修行時代に気功の先生に動物の動作になりきるエクササイズをし
無の感覚を得たと書かれていたように記憶しています。


自分が動物になりきっている意識へ移行したら
気がついたときには高い窓のところにいたたようで、
自分でもどうやってここにいたのかわからなかった。


そのときに無の感覚を体験することができたといいます。



中国の伝統的な気功法に華佗が考案した五禽戯という気功があります。
虎・鹿・熊・猿・鳥の動作から編み出された動気功です。



ヒクソン・グレイシーの触れた師にあたる方も、
そのような気功をなさっていたのでしょうか。


格闘技という命がけの勝負をしていく。
そのときには己の恐怖心をどういさめ、
自他ともに冷静に観察して作戦をたて、
瞬時に変わる局面を勝利へ導いていく。
緻密かつ大胆な戦略をたてる能力も必要。


そのときに無心の境地で、
他者の弱点や癖を見抜き
自分の弱点や癖も見抜き
その上で作戦を立てて戦っていくならば、
勝てる確率が高くなっていくのでしょう。



運動をしている方々ならば体験したことがあるかもしれませんが、
このようなゾーンに意識が入っているときには、
自分でも驚くほどの集中力と爆発的な力が出る。


筋力を発揮しているところが違っていることに気付くかもしれない。
いつもならば屈筋群という体のバランスを乱すでしょうし
効率的な動きができていないような人がおられたとします。
そのときは力みが強く非力で、
うまくコントロールできません。
それがそのようなゾーンに意識が入っているときには
伸筋群が主体として使われます。
体のバランスを活かしつつ強力な筋肉を力み少なく使える。


日頃から屈筋主体で動いている人は関節が詰まるような筋の使いをし
血行を阻害し疲れがちになると同時に疲れが抜けにくいことになります。
それはやがて体の歪みを生むことになるでしょう。



私は屈筋主体か伸筋主体で動いているか、
お客様の動きの質を観ています。


屈筋主体で動いているならば、
筋膜をリリースしただけではいずれ歪みだすでしょう。


伸筋主体で動いているならば、
筋膜をリリースしていけばそれはリリースされた状態が維持され、
そして筋の柔軟性は自動的に促進されていくことでしょう。


自分の中に眠っている力に気づいたときの驚き。
その力を意図的にコントーロールできるようにすることができれば、
ちょっと面白いこととなりそうです。