『手ができあがる』

今日、施術中にお客様と話をしておりまして、
職人的な仕事をする機会が職場で
少なくなりつつあるのかもしれないという話がありました。


以前は手で削り修正を加えながら
製品になるものの試作をしたそうです。


それが徐々にデータを掛け合わせていくと
自然にこなれた点数の製品が作れてしまう。
そのような技術が発展することで、
ミスの少ない製品ができます。


ですが手でさわって道具を作り出す職人としての
優秀な財産を作り出し培うようなノウハウは
いささかの結果的にろくでもない失敗や
見当違いの遠回りをしなければ見つからない。
明確な目的意識と広域に渡る周辺知識が必要。



『手ができあがる』


これは鍛冶職人のことばだそうです。
鍛冶仕事をするのにも10年がかかるそうです。
ですが10年すれば誰でもがいい商品を作れるかというとそうでもない。


鍛冶の作ったものを使って仕事をするものは、
その道具で飯を食べている。
だからちょっとした使い勝手の悪さがあれば
どんどんクレームを出してきます。


またその鍛冶職人に商品をつくるように依頼するときには、
10本の道具を作ってほしいといわれれば、
寸分たがわぬ寸法かつ使い勝手の商品を作るよう要求されている。
ひとつひとつがそれなりによいものであっても、
それだけでは不十分なんだそうです。


そんな厳しい要求をかなえてあげることができなかったら、
どんなに長い間鍛冶職人をしているといばってみてもダメ。


そしてそのような要求がどうにかかなえられるまでに
10年がかかるということなのだそうです。



今の時代は、
このような汗と涙と工夫の日々により技術を磨いた末の
手ができあがる仕事をするならば高い商品になるため買い手が絞られるでしょう。


そこそここなれた商品が大量生産して安価な類似品がでまわるからです。



ですがこのような手のできあがった職人により造られた道具は手に合う。
職人が今まで試行錯誤の過程で磨き上げた珠玉の一滴が滲み出している。


そしてこういった手ができあがった職人ほど、
仕事の奥深さを素直に感じ取り、
10年職人として過ごしてきて
ようやくスタートラインに立てたという。


かつての日本の強みは、
こんな職人かたぎなものたちがいてくれたことだと思うのです。


闇雲に労を惜しまず働いただけでは、
決して今のような経済大国の仲間入りはできなかったはずです。
私には日本の職人かたぎな者たちとは、
ドラッカーのいうナレッジワーカー的存在に感じます。
個人の持つ知的幅が半端なく厚く専門的です。
そんな技能を持つものが集まることで、
プロジェクトが運営できればいい仕事ができるものです。



それぞれの職人が枯れた技を使えるまで歯を食いしばる。
ろくでもない仕事をしやがってと、
お客にいわれ作ったものを突っ返されたら飯が食えない。
そこを耐え続けてきた痛恨の10年という月日なのです。


その末に他の追随許さなくなる。
そして飯を食えるようになる。


現代の商品のサイクルが早い時代には、
10年かけることの意識はそぐわない。
そういったところでしょう。


ですが容易に他人に真似られないことができることは大事です。
代替えが絶対に効かないというものは値崩れしづらいため、
厳しい不況下でも生き残る潜在力を秘めています



私も誰かに容易に真似できないようなものを造るよう心がけています。^-^)