息をしていないことに気づく

今日、お客様が「ウ゛ィパッサーナー瞑想をやってみようと思って」といっておられました。


仏陀が悟りを得るために実践した瞑想法。


どんなことをするかというと、内容はいたってシンプル。
簡単にいえば次の3つ。
スローモーションで動く瞑想
逆回転モーションで動く瞑想
動きに実況中継を加える瞑想


実際におこなってみてわかること。
いかに私たちが自分の意志で動いているわけではないことに気づくだろう。


無意識に自動化した動きのパターンが出来上がっていて、
それによって支配され動かされている。
自分の意志で動いているようでいて、
過去にえられたパターン動作を
いつまでたっても繰り返します。


そのようなパターン化された状況に生きれば
観察力や洞察力は鈍ります。


自動車の運転も、教習所で練習したてでは
真新しい環境下ですから必死にどうすれば
うまく運転できるか状況を観察するはずです。


それが数年もたったベテランドライバーになると、
車幅感覚も目を配るべきポイントも身につきます。
道もおおよそのところを覚えましたし、
カーナビだってある世の中ですから。


そうなるとわざわざ教習所に通っていたときほど
観察力を元に洞察をして熟考するようなことはない。
それなりに運転できているんだから、
別にこれで充分だと思うわけです。


そうやって観察力や洞察力が減少していくわけです。


そしてそれと同様に、
日常的な動作をおこなうときも、
繰り返し同様の動作をしているときは特に
頭では考えなくても勝手に体が動くように。


そのときにはやはり観察力や洞察力が減少している。



だから自分では普通に呼吸しているつもりでしたが、
私どもがみれば理想的には息をしていないようにみえることがあるのです。


息を止めると、
人は感情を感じ取れなくなるか、
感情を感じ取る力が減少します。


人を強いストレス状態下におけば、
条件反射的に虚脱呼吸をする姿勢になって、
息を止めるようになったり、
かえってムリに胸郭を前上方に向けていて、
息を止めるようにしてみたり。


結局はストレスを回避するには、
息をひそめて止めるようにする。


そうして豊かな感情を消してる。


そういう状況の呼吸をしていても、
自分では息をすることはパターン化した筆頭で、
深遠な観察力や洞察力を傾けることもなくなる。


だから息を止めるようになって久しいが、
自身は気づけないでいる人が多いのです。


そのようなときにウ゛ィパッサーナー瞑想で
自分の息の仕方を実況中継してみればよい。
観察力の焦点をそこに当てることで、
目の前にたしかにあるものなのだが、
その状態に気づけなかったことを悟るはず。


そのようなパターン化して
化石化した注意力を再生し、
豊かな感性を取り戻します。


そうやって息を止めるように癖を持った人が、
息を止めず良好なものにするよう心掛ければ
感情がもっと豊かになっていくことでしょう。
ときどき劇的な変化をしてしまうこともある。
ちょっと面白いですよね。



余談ですが、
うちの奥さんのヨガのホームページタイトル。
グラン ソフレ とは、深く豊かな呼吸をイメージしたんだって。
http://www29.atwiki.jp/grande-souffle/pages/1.html?pc_mode=1