私的な死生観


メールでやり取りをさせて頂きました方が、
アメリカでボディワークをなさっておられ
自分にも過労が元で病をえたとおっしゃられます。
そしてお知り合いの数名の方にも病や死を迎えられた。

だからあなたも気をつけてくださいねという
思いやりのあるお言葉をいただきました。
心より感謝いたしております。


実際に知人の施術者を亡くした同業の方には、
このような言葉は切実な意味を持っています。


施術を生業にするときの、
人と関わる仕事の凄まじさや身を呈して生きることの難しさ。
そのようなことを考えさせられることがあります。

自力以上に過剰なまでに頑張らねば、
自分がイメージする仕事ができない。

そうであるならば、
どうすればよいか。

自分の体をいたわり省みていたのでは、
自分の創造した通りの施術はできない。

思い通りのことは、
自分の体を思いやればできない。

そしてオーバーワークになる。

自分の体力の回復力を超えてしまうと
病になり死に至る施術者が結構います。

私の知る中でも5名、
思い半ばでお亡くなりになられた方がいます。
過労が元で病を引き起こし戻ってこれなかったのです。

お客様のことを一心に考えることを第一に。
熱い気持でがんばる。 
そして自分の身を省みて引き返せる臨界点を超えれば、
しまった!ということになってしまう。

そして悲しい事ですが、
死したあとに
「あの施術者は自分の体も面倒見れないんだから、そこに通ってもいいことないよ」
といわれていた言葉を聞くことがある。
以前は、かなりショックをうけました。

文字通り死ぬほど頑張っていたのですが。。。

自分もそうなるのだろうか。。。
体力と気力の限界に近づいていけば、
そう思えてくるのも仕方ないことと思います。




そんなときに、
ふと思いだした言葉があります。

『今日は死ぬにはよい日だ』

ベトナム戦争当時の若きアメリカ兵が、
誰ともなく口に出した思いの言葉です。

引退した格闘家ですがヒクソン・グレイシーという人物も使っていた。
グレイシー柔術でも最強でした。

そして彼がリングで死闘を繰り広げる前に、
『今日は死ぬにはよい日だ』といっていた。

リングとは勝負の場であると同時に、
死に場所でもあると侍のような心境。

まさに命のやり取りをも辞さない戦。

他の格闘家は、どうやれば勝てるかと考えている中。


なぜ、このような言葉を私が思い出したかというと、
施術をしている私どもは、
比較若くして死に行く同行者を観て、
自分の身もそのようになると怯えることもある。

実際にそうなるほどのことをしていれば、
当然の成り行きのようなものですから。。。


話はそれますが、
私のところに通ってきておられた小柄な女性で
個人でアロマオイルマッサージをしていた方がいました。

そのかたは合気道をしておられたのですが、
前傾姿勢で体を酷使し続ける仕事がたたり
いつしかお客様をみると自分の生命エネルギーがそちらに吸いつくされるのだという
強い恐怖心を持つまでに至っておりました。

ですが自分が多くの方々を癒してさしあげたいという気持ちも強くあります。

心のなかでは逃げるか戦うかの葛藤をして、
常にストレスでこころが押し潰されていた。
精神的に追い詰められておきるストレスは
恐ろしいことを引き起こします。

お客様の予約が入ると顔では満面の笑みですが、
心のなかではガチガチと恐怖に震えている。
常に体の芯が折れ曲がっていて、
気血の流れが阻害されています。

これではやがて身が持たなくなる!

そしてこのまま続けていれば、
廃業をするかまたは病を得る。
そのどちらも選びたくないが
どちらかを選ばなくてはならないと考えて苦しむのです。

ひしひしとそのような緊張感が体の深部の硬化から伝わります。

この状態が続いて呼吸が浅くなり脊椎の椎間板の詰まりが胸椎あたりにきつくなれば、
顔色も悪くなり危険な状態です。
本人は精神的ストレスが大きすぎて自分の身を振り返ることがないことが多いのです。



このような方の状態を、
おそらく施術をしている人には多かれ少なかれ
共通するような体験をしたことがあるでしょう。

もちろん私も、そのような思いをしつつ頑張っていた時もあります。



そんなときに、ふと、出てきた言葉が

『今日は死ぬにはよい日だ』という言葉でした。



この言葉により恐怖心は軽減し、
死ぬからにはただじゃ死ねない、
というような心持ちになりました。


体を壊し危険なこともありました。

そんなときには死しても今まで気づいてきた智恵や知識、技術は来世まで持ち越せると、
確固たる信念を持つようにしていたので、
次回にかけようと考えました。


あくまでもマイペースでいきましょう。
そんな感じです。


ただ、実際はこのように思うことで、
施術をしていくときに自分の身が衰弱していくことへの恐怖心は減じられストレスが減った。
そして恐怖に思うことから目を逸らさずに正面を向いて対処しようとしたら頭が働きだした。
頭が施術に対して集中できるようになって施術の結果が現れてきた。

『今日は死ぬにはよい日だ』という言葉は、
命をおろそかにしようとするものではない。

やるべきことをやり抜いて死ぬのならばよしとしよう。

そう潔く考えるに至って、
爽やかな気持ちで施術に取り組めるようになった。


平和な環境で生き死生観をなくしていた自分に気づいた。


ちょっとだけですが強くなれたような気がしました。



ただ、今もそう考えていますが、
やはり同じような職業の方から、
身を案じていただけるようなお言葉をかけていただくことは
うれしいことです。


明日にでも、
お互いに体を大切にしましょうねというメールを
書かせていただこうかと思っております。^-^;