どう生きるかからの変化

あけましておめでとうございます。

今年のお正月は、なんだかしずかに幸せな時が過ぎていくような。
平和な感じがしています。^ー^))


今朝、私が若かった頃に、
夜を徹して精神的なことを、
色々話せていた友だちから、
次のような内容のメールをいただきました。



>自分はもう、後ろから数えた方が早い年になりましたから、
>次の段階に入りま した。
>いました今までは、どう生きるか!これからは、どう死ぬか!になりま した。
>自殺をするのではありません(^^)


そうなんだよなぁ。
人生には終わりがあります。


事故や病気でなくとも、
寿命というものがあるのです。
そうなってくると生きている時間の限りがわかる。
残された時間をどう大切にして、死を迎えるのか。

どんなにご長寿を狙っていても、
100歳以上生き続ける割合は少ない。


元日は一年の始まりでもある。
ある程度の年を重ねたことで、
「どう生きるか!」から「どう死ぬか!」と考える人もいるのです。
そのことばに、私も素直に深くうなずくのです。


武士道の根幹をなす 「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」という
死生観というものなのでしょうか。
常に己の生死にかかわらず、正しい決断をせよと説いた葉隠の考え。
終わりを意識するようになったとき今を生きる鮮明さが増すのでしょう。


なんとなくですが、そうも思えるのですが。。。

インド旅行もする友だちで、
生と死との境を真剣に捉え、
瞑想をし、何かを感じている。

私がその友だちとはじめてあったとき、
いきなり「じゃ、これから瞑想をしましょうか」と、
周りのみんなの目を点にさせるほどピュアですから。



生きることに真剣であるのは、
人生の半ばを過ぎたあとでもさして変わるものでもない。
だが、生きる時間の限りを実感できたとき、
そこに、常に生きることにケリをつける気持ちが意識されるようになったのでしょう。



「どう死ぬか!」についてですが、
それはネガティブな考えではなく、
死に備えていくのってかなり多忙。

私などは、
あれもこれもやり残しているなと、
時間がないと期限を切られるとき
ようやく重い腰を持ち上げるので。
重い腰を持ち上げたら、 具体的な仕事量が見えてきてやることがかなりあると認識。
どう死ぬか!と考えると、
このままじゃ死ねないよ、
とパタパタと動きのペースがはやまっていきます。