「やるにもプロセス重視。体は機能的にデザインされているから、その

アレクサンダー・テクニークの本を読んでいたとき。


次の言葉がこころに引っかかった。


エンドゲイン】:目的達成第一主義。目的を達成することができれば、途中の過程はお構いなし。


「とりあえず、できればいいのだ。」


日頃、私はお客様のなかでバレエをなさっておられる方々に、
私がなにかを伝える以上に、さまざまな動きのヒントをいただいてます。


そのような状況下、
先日、夜中に「スーパーバレエレッスン パリ・オペラ座 永遠のエレガンス」を、
終わり間際の回だけ観れた。
やるとわかっていれば、録画しておき資料として頭に記憶させたかった。
そう思えるほど、
動きの質は圧感。
芸術の域まで押し上げるためには、
どれほどの精緻な気づきをえ指導を受けてきた過程があったことだろう。


手の動かし方ひとつを取り上げても、
長い時間をかけてきただろうと思う。


おそらくちっちゃい子ども時分からバレエをしている方々は、
そうは悩まないことも、おとなになってからバレエをはじめ、
今まで身につけてきた、「とりあえず、できればいいのだ」。


という感覚をかなぐり捨てていかなければ、
腕を動かすときに起こる精密なプロセスが
そこに厳然とあることを気づくことがない。


「とりあえず、できればいいのだ。」では、
いくらそれを繰り返してもうまくならない。


一旦、今までの自分の体の使い方を否定する。


「ちょっとまて。これ以上のやり方があるはずだ」


そう考えて動作のプロセスを時系列で観察したり、
より機能的な建築構造物として、人体をデザイン。
そのような作業にとりかかることができるならば、
「とりあえず、できればいいのだ。」のやっつけ仕事がそこで終了だ。


ただ今までの繰り返し動作を捨てるということは、
したことのない動作を試してみることになります。


やったことのないことは、
やってみないと結果がわからない。


もしも大胆な変更を加えるならば、
いつも使っていない筋肉部分を使いすぎて筋疲労
それが筋肉痛になることもあるでしょう。


ですが「とりあえず、できればいいのだ。」という、
大脳の思考力がなんにも働かない状態から抜け出せる。
無意識動作のなかに含まれたマイナス因子が姿勢悪化や肉体疲労の原因にもなる。
そのような減点マークが付いた動きの繰り返しから逃れるきっかけを得たのはすごいいいことだろう。







子どもを過ぎて無意識動作が主流を占めた、大人たち。
他人から動きの質のよいやり方を伝えられたとしても、
どうしても「とりあえず、できればいいのだ。」から、
執着を手放すことに苦労することも多いものです。


「とりあえず、できればいいのだ。」といった考えが、
声をひそめてくれるまでは、
動きの根底に関わる質を書き換えられる時期は少し先。


できるだけ早く、
「とりあえず、できればいいのだ。」から
「やるにもプロセス重視。体は機能的にデザインされているから、その力を取り戻したい!」へ。


世界一美しい肉体美は、自分の内側に眠り続けているのだから、
その子に向かい「起きようよ朝だよ!」と目覚めを促すのです。


そして一皮むけた自分の姿を見たとき、
誰しもが自惚れること間違いなしです!


そういったところの欲張りは、どんなに欲張ってもいいんじゃないでしょうか?



そういったセルフ・ボディケアには、
真剣味と積極性が必須。



天賦のものとして与えられた体の機能性を取り戻し
一連の動作の過程を吟味するセンスがよくなると、
自分で動きの質が最適解に近づけるようになる。


いつまでも若い柔らか脳を得たことになる。



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