神道のおもしろさ

神道のおもしろさ


神道の生き方 (Esoterica Selection)
という本を読んでいて。




天照大神の教訓


・見直し、聞き直し、宣(の)り直すこと
・みずからの霊を祟め拝むこと(自霊拝)
・清く、明るく、正しく、素直であれ


と語られていた。


多くを語らずシンプルに説く姿が見えます。


そこが神道の興味深い悟りの道のように感じます。



体の使い方の開眼を期して語る言葉を天照大神流にいい伝えるとすれば。。


日常生活を漫然として送る中でも見直しなさい。
「これでいいかな?」と自分で確信していることも、
それをそのままにしていては、よくありませんから。
しっかり見直しなさい。
しっかり聞き直しなさい。
そして宣言をし直すのです。


そういったことでしょうか?



これは体が使われる様子で、
リパターニングという意識に通じています。



たとえば、あなたが「最近、頭痛がひどいな」と悩んでいたとします。


もしあなたが施術を施術家から受けたとします。
的確に体のこりを捉えて問題部分を緩めました。
ですがまたそれがぶり返されたのです。


そのときに、いったい何が根底で起きている?


いくら施術者が無能だと責めたとしても、
痛みは収まらないのです。


施術者を見直すということも有効な手段でしょうが、
他にも見なおすべきところはあるはずです。


そこには『あなたが頭痛を作り出す生活パターンをもってしまった』ということが含まれていたら、
そちらも改善させていかねばならない要素のひとつ。
見直し案件になるのです。


そして多くの場合、
そこにメスを入れずに治まるものは、
急性の症状です。
何ヶ月も、または何年も前から不具合を感じているような慢性の症状と化したものは、
ほぼ100%、自分の身の操作を美しく機能的に洗練されたものへと書き直すことへ。
そこに向かってこそ、凝りや張りや関節の詰まりや歪曲した体からくる痛みやしびれ、
動きの制限や不具合が改められて、楽に生活を送れるための基礎を得ることができる。


たとえば、


私は、お客様の立ち方を観させていただくときに、
おおまかにどのようなパターンをその方が持つか。
そちらに見当をつけ、改善した後の絵を頭に描き、
目標へと近づくように施術でサポートを加えます。


それだけで話が済むと力説するのは、
いささか不具合が生じると思います。


たとえば次のような傾向がある人が、
施術を受けたあとにまたいつものように、
パターン化した動きを繰り返すならば、
新たにまた自身の身を壊しだしている。


スマホをずっと観ながら歩道を歩いているひと。
ひどい人は乳母車を押しながら、自転車に乗りながらです。
文字を読むときに肩や腕を固定させて文字の動きを静止させなければなりません。
同時に自分の頭や目も常に動きがある分を補正しながらですから。


また日常の姿勢で、脇が甘い人もいます。
重心が高止まりしていて、下丹田に置けていない人もいます。
デスクワークのときに前傾をしなければならない人もいます。
介護の現場では不自然な姿勢で大きな力を発揮しなければならない人もいます。


つまり仕事をするうえで必要悪として、
そのような作業姿勢をとらざるをえないところもでてくるものですから。
つらいところですよね。



自分の日常何気なくしている姿勢や動作のなかに、
肩が持ち上がったり
肩が前に巻き込んだり。
呼吸が浅くなったり、
前かがみになったり、
骨盤が前傾したりする。
その他、多くの問題があります。


それでどうなるか?


たとえば・・・
僧帽筋が固まります。
頚椎の椎間板が縮んだり前屈したりします。
肩甲挙筋が萎縮します。
斜角筋が骨のように骨化していきます。
後頭骨がずれます。
そして第一頚椎がずれて、脳内の血液循環が異常をきたします。
顎の食いしばりを続けて顎関節がずれてしまいます。
その他、多くの問題がでてきます。


そのようにするパターンが普通のあなたのなさる動作に含まれているならば。
すでにその人にパターンが定着していたら。。。




施術を受けたとしても、
自分でいつもの頭痛を創りだすパターンに引きずられてしまう。


そのことに気づいて見直す心構えをお持ちになられるかどうか。


神道の生き方ではいつからだって、
見直して聞き直して素直になって。


不具合を産み落とすことをしていたと自らの身の内側を見出して、
そのパターンを再構築すればいい。


その末に、見直されたあとには当初感じていた頭痛は消えていく。
ただ、そののちに、また新たに体の芯の方に眠っていた不具合が、
ぽっこりと目を覚ましでてきます。
それをまた、見直していく努力で対処していくと、
同じようにまた奥から、でてきます。


なかに眠る問題の量はそれぞれですが、
それをずいぶん回数を繰り返して行くうちに、
自分で自分の体を書き換えていく要領がわかっていきます。




それが『リパターニング力』です。
または私はこれを『動作を練る』とも呼んでいます。



多くは人は不具合があってもそれに気づかずにいます。
不具合があるといわれても自分のこととは思えません。
他人ごとのように感じるものなのですね。


自分に不具合があるということを見つめよというのは、
決して「自己を否定せよ」ということではありません。


そのように勘違いされると
私がかつてしてきたような遠回りをすることになるので大損です。


純粋に自身を拝むよう生きてください。
そうして愛しく思うものであるならば、
見直して聞き直して穢れを削りぬくことは
自分を清く、正しく、素直さへ向かう道を開きます。


しなやかさを生み続け、
新たな生命の誕生を向かえるような
若さと自信へ通じるものとわかるのでしょう。


そんなメッセージを語っているんじゃないかなと思いつつ、
神道の生き方』というぶっとい本を読んでいます。