「どの先生方も親身になってよくやっていただけた」という言葉で労をねぎらう人。

昨日、新規のお客様がお見えになられました。


詳細は述べられませんが、
体調不良により数知れないほどの様々なジャンルの病院、施術院に通っておられたそうです。
その方が感じておられた苦しみ方は、かなりなものです。
多数の医院への通院歴が、40行でも収まりきらないし。
そうやって頑張って、あらん限りの体を治すための努力。
やってまいりました。
ただ残念ながらご本人が十分に納得できるところまでは、
改善はなされないことが多かったそうです。


今現在、以前なさっておられたようなハードな仕事にはつけることができない体調を押して、
必死に非常に重く緊縛されたかのような身とそれからくる心を、
ときにはずるずるずると少しずつ必死に引きずりながらあゆむ。


もともとが活発にスポーツを楽しまれていた方で、
現在もそのような質の筋肉を備えているものです。
それなのに現状では思うように動くことができず、
過去と今とのギャップに苦しんでおられるでしょう。


ただ、こちらのお客様がいうには、
どの先生方も親身になってよくやっていただけた」とおっしゃられます。


「どの先生方も親身になってよくやっていただけた」という言葉で労をねぎらう気持ちがあるならば、
きっと幸運をつかみ改善することにつながるに違いない。


私はそのように直感しました。


それは根拠の無い信念といっていいものですが。
唯一理由らしきものはといえば、次のようなものでしょうか。


過去に私にこのお客様がおっしゃられた同様の言葉を告げられたお客様がいました。
その方は深刻な状態に心身が陥り、
身体的なつらさもさることながら、
精神的な問題も大きい状態です。


それにもかかわらず、
「どの先生方も親身になってよくやっていただけた」という言葉で労をねぎらう人。


人を信頼する気持ち」が、
輝くほど強かったのでしょう。


そのようなお客様の施術をさせていただいた経験から、
この言葉を述べていた人の多くが体の状態が改善していかれるスピードが早かった。
ときどき私が想定するよりも、その改善スピードが早くて驚かされた方もおられた


それはおそらく早々に私のことを
「自分にはできない作業を代行してやってくれる味方だ」
といった気持ちで信頼してくれたのかもしれません。
涙がでるほどありがたいことです。


私も多くの施術者のうちの一人、


そのような私ですから。
潜在意識に「どうも施術者は怪しい物で信用ならないのだ」と前提の信念を持たれたならば、
そのなかの一人にすぎないという判断を、お客様の脳は無条件にしてしまいがちなのです。



実際、このような信頼の気持ちを抱いていただいたならば、
私の行う施術はほぼすべて、
決して無為に無用な痛みを施術で強いたいわけでは一切ないはずで、
痛みがでた場合では、どうしても浄化させたい部位があって、
そちらのアプローチをするメリットががあるはずだと考えてくれます。
実際に、その通りなのですが。 ^-^


そのようなアイデアがあると、
体の緊張度がめっきり下がる。


それに対して施術中に、
信頼出来ない施術者に危険なダメージを与えさせられるという思いが植え付けられていて
恐怖を想像していては、
施術の始まりから終わりまで、緊張の糸が張り詰める。


そうなっては、大幅に筋のリリースが抑制され目減りするものですし、
四肢末端や体幹まで筋肉を硬化させて亀のように体を固めた鎧を自作して、
施術を受ける不快感との戦いを挑んでしまう。
そうなると筋硬化が著しい状態が作られます。
そちらがリンパ液や血液の代謝不足を維持し、
おそらく改善の足かせになっているのですね。


そこをお客様本人の考え方で手当をしている。
それに「どの先生方も親身になってよくやっていただけた」という言葉を述べていただけるお客様には、
施術者側も無条件に「私も親身になってやらせてください」といいたくなるものです。


絶妙に施術者を誘導されているような感があります。
お客様はそのような意図はないものと思いますが。。。



人間は感情で考え、感情で行動する。
故に、感情で成功し、失敗もします。



私としては、「施術者は怪しい物で信用ならないものばかりだった」という言葉があらわれる場合には、
初期段階で施術の依頼をお断りさせていただきたいと思います。
たとえボディワイズは特別であろうとおっしゃられたとしても、
それほどの神業を私が持っているわけではありません。
それにこの言葉が幾度か繰り返されるお客様の傾向として、
体の改善がなかなか進まないというケースが多く思います。



これは本当に数年に一度ほどもあるかどうかのことですが、
私のミスもあるのでしょうが、
何度かミスコミュニケーションによる人間関係のもつれを体験しますと、
つらくて数ヶ月も精神的ダメージが頭から離れられない。


それがもとで、私の精神的な不安定感が増せば、
他のお客様の施術にも精神の集中がしづらくなることもあり、
ご迷惑をおかけてしまいます。


それらの理由で内心動揺してしまうと、
施術中の集中力が途切れてしまう。



私の個人的な見解で申し訳ありませんが、
「これはあまりにもひどいなぁ〜・・・」と思えてしまう珍しい場合、
私が今後の施術をすべきかどうか考慮せざるをえないときがあります。


そのようなときは、
施術のご依頼をお断りさせていただいております。


嫌われお叱りを受けたりすることを覚悟をします。
後々に、そのお叱りを引き伸ばすことになるのか、
今、お叱りをいただくのか。

いずれにせよ、私にもそれは相当なつらい決断です。


後ろ向きな行動に見えますが、
先日もそのようなトラブルが。


それも相当に茫然自失なほど、
こころがつぶれる経験をしたところですので。


そのようなときに「どの先生方も親身になってよくやっていただけた」という言葉を贈って、
今まで関わってきた先生方の労をねぎらう姿勢に出会い、
「そうだ。このタイプの人は、なぜだか相当な体の不調がある人でも、
私が施術をさせて頂く過程で、私が驚くほど治っていったよな。。。」
ということを思い出させていただけた。



何気ない考え方の違い、言葉の発し方の違いなのかもしれませんが、
言葉には魂が宿ると言います。



自分を治りやすいようにもり立てる言葉を使うことの益は大きいようです。