体の反応から心に意識を向けてみて

人間は、実際のリアルな世界を体験して反応が出ているわけではありません。


そもそも「今に目覚めた状態」を『悟り』と言うそうです。
常に自分の五感から入る情報を、虚飾なく感じ取っている。
皮膚に擦れた衣服のしなやかさや、
風で髪の映える根本が刺激されるひとつひとつ。
肉体の内部感覚に目をやれば、
体の隅々のしこりや張り、内臓の引き連れや、
骨格の歪み状態なども気づいているはずです。


それらはありありと、
感じ取られたときに、
「今に目覚めた状態にある」と言えるのかもしれませんね。



センサリーアウエアネス的に、
ヴィパッサナー瞑想などや
各種瞑想など。
さまざまな技法を使い、
今をきらめかせわかるように感じられるようにする。


そのような状態ならば、
右脳の効いた、きらびやかで生命力の満ち溢れた世界と繋がりだす。


そこに至るのが『 本道 』と、私は信じています。



そのようなレベルで悟っている人間はザラに居るわけではありません。


私も、そのようなところへ至っているわけでもなく、
『今』を、つかまえるために心身の若さを取り戻し、
『今』を見なくなり思考の渦に巻き込まれないよう、
何かを取り戻すためのフィールドワーク中でしょう。


つまるところ私の場合、
多くの時間は、脳の中で描かれた虚構の劇中にいます。


残念ですが、いまだにそうですね。
日々の生活は一進一退の攻防です。


思考が雑多に飛び交い、
統制がとれていないし、
気づけば決まりきったパターンに囚われている。


脳内劇場で得た体験は、
リアルな実体験以上の体験を感じてしまう。


それにもとづいて反応がでることがあります。


脳内劇場で演じて得られた感情から、
心身を取り乱すかのようなネガティブなものを創りだす。


奇妙な現象だが、
心が静まらずに、
緊張をしっぱなしにする。


そのようになれば、
身体にもその影響が現実化して、
筋肉の凝りや歪みになっていく。



心理学では、意識を向けたものに集中力が増すといいます。
気にかかる部分がクローズアップされて、
そこ以外は盲点として目隠しされた状態。


それはまるで鳴門の渦潮のなかで右も左も上下も前後もわからず、
かき混ぜられ抜け出せずにいるような囚われた状態です。


本人は、心が乱れ渦潮のなかにいるときに限って、
冷静に心が静まらずにいるから鎮魂をしなければ、
・・・と考える余裕がありません。 ^-^;


自分一人だけで考えると、どうしても気がせり、
悪い方向へのドツボにハマりやすい状態ですね。
冷静であれば選ばない行動を選択する時期です。



そしてそこから生じた奇妙な凝りや歪みは、
つかみどころがない「得体のしれないもの」。
そうとしか感じられない。


病院で治療をしていただいた。
施術院でゆるめてもらっても、
簡単に固まりだしてしまった。
そのようなことが繰り返され、
リペアする専門家にも降参へ。


すると打ち手がなくなります。


まさに『奇妙なつきものに取り憑かれ、支配された状態』です。



脳が高度に発達したお陰で、
現実の世界よりも脳内の虚構に影響される傾向にあります。
そちらの五感を通さないヴァーチャルリアリティの世界で、
生きている時間が多いのです。


私たちはいつだって過去の印象的なエピソードや、将来の虚構の劇中にいます。


過去の自分が感じた印象の世界は、脳内で解釈が膨れ上がり、
いまだに起きてはいない絵空事の未来の世界に、住んでいる。


そのような脳内で作り上げた過去と未来から生じた感情。
種種雑多な感情の固まりが体に作用することがあります。


こんがらがった感情の塊(かたまり)。


感情がぐっちゃぐちゃに固められて解けない糸のようだ。
混乱はさらなる戸惑いや躊躇、居付きを呼ぶ。


筋肉の本来のしなやかな生命感を発するのは、
ひとつひとつの筋肉が連携しつつ働くからだ。


感情と筋肉の関連性は、
『経筋』という経絡と感情の関係を解説されている。
筋肉と経絡の関係を示すツールを使えば、
ある程度は、解き明かしてくれるだろう。


感情の渦に巻き込まれたと同時に、
筋肉が連携して働くことも起きなくなる。
筋肉操作の連関性の途切れが同期するということは、
感情の乱れと該当する筋肉の萎縮や虚脱といった現象が成り立つので。。。


話がちょっと複雑に思えてきますから。


たとえば肩の位置と感情の傾向性など、
ボディリーディングを頭に叩き込めば、
「どのような感情が筋肉の萎縮や虚脱で現在の姿勢を表しているのか」という仮説も立てて観察できる。


それは当たるケースも、外れるケースもあるのですが、
関係の大小をみれば、当たらずといえども遠からずで。


これまた『奇妙なつきものに取り憑かれ、支配された状態』といえそうです。



わだかまった感情の糸が絡み合ったら、体への反応として現れてくる。


つまり、体の反応をみて直してほしいというのではなくて、
感情を整理しわかりやすく解いていくこと。
そちらのウエイトが高い場合があります。


もしかすると感情という物質化されていないものを扱いやすくするため、
相互の関係性を示す筋肉という物質に影響を与えて見える化させていく。
そうしたほうが感情の捉え方が、手に感じ取りやすくなる。
そのような手段を取ったのかもしれませんね。



先日、お客様のお一人とお話をしていたとき。
興味深い体験をなさったと教えていただきました。


周囲の友達と感情の塊を見つめほどくシェアをしているとき。
どっと涙が溢れだしてきた。
そのときにパチンッと体の中から音が聞こえた。
周囲の人には聞こえなかったかもしれませんが、
それは今までズレを感じていた股関節のハマる音と気づいた。


そして、その後の体調は良好。
私が観ても、
その方が最近大きく変化した様子は伝わってきます。


感情の塊を解きほぐす。
感情のチャンクダウン。


私たちは、多かれ少なかれ、
股関節を大幅にずらすような大物ではなくとも、
何らかの過去や未来からの劇中の感情から生じた影響に左右されていて、
今を生きられていないところもあるのでしょう。



現在の苦痛が存在しているとしましょう。
それは恐怖というより苦痛そのものです。


想像で創りだしたものなんかじゃないし、
痛み、そのものです。


ただ最近は便利なもので、
私が歯医者さんに歯茎の腫れを訴えると、
痛み止めを処方されました。
今の痛みは痛み止めが利く。


痛みを味わい尽くす必要は、
今後、十分歯磨きに気をつけようとか、
歯医者さんに定期的に通うことにする、
そのように決めれば話が済むわけです。


「痛み止めが利かない痛み」もあります。


不安感や恐怖心が、

将来にさらに悪化する予測を立てる。
未来の苦痛を先取りしてしまうことがある。
脳内で創りだした逃避したくなるシーンからは逃げるに逃げられず、
麻酔も利かない。



それゆえ現在の苦痛以上に、つらい。



想像上の劇中にいる自分が得た苦痛のほうが、
永遠にこの苦しみから逃れられないつらさを感じてしまう傾向があります。


そして将来に想像したイメージが起きると潜在意識に書き込んでしまうと、
実際に恐れていた通りの状態を現象として創りだそうと脳は努力します。


忠実に、悪夢がそのままの形でかなえられてしまう。


そして、いいます。
「やっぱり、当たったな。思ったとおりだった」と。




過去に起きた出来事や未来の推測。
そこから生じた感情が思考を呼び、
現況を知らずして行動へ移らせる。


そこには今の血液が流れていない過去や未来の思考や感情に生きる状態。
エネルギーがジリ貧になり不足気味になります。
サバイバル資源としては、使いものにならない。



気持ちと思考(思い込み)を別々に考えなくてはならない。
この要素が絡みあうと、感情の塊が育っていくといいます。


そのようなところでも自分にあった方法や手続きを踏めば、
股関節がハマったお客様のようなことも起きるのでしょう。
ただしそのような手法も質の良し悪しが問われるのですね。
自分に最適にあったものとのご縁があるかどうかでしょう。




心を静かにする。
すると体は静になる。



もし、私が、こちらのお客様が股関節がハマりの調子が悪いときに施術を受けに来てくれていたとします。
体を面を施術で必死に整えようとするわけです。
ですが、主たる原因が『感情の塊によるエネルギーシスト』ですから。
そちらは筋膜リリースで整えられますよといえる範囲の外になるのです。
プラスのねじ回しで、マイナスのネジを回して開けようとするほどの困難さを伴います。
変態的なねじ回しの使い方を編み出して、どうにかこうにかゴールにたどり着くのでは、
私もお客様もご苦労が絶えないわけです。


たとえ経筋の様子を私がわかっていて、
アプローチを加えていたとしても、簡単じゃありません。
かえってそれを知るゆえに、どれほどこちらのお客様の根が深かったのかわかりますので。



それだからこそ、
よくぞ自らのエネルギーレベルを上げる方法をゲットして(←これ重要!)、
感情の塊を解いて、自分をあるべき場所まで救い出しましたねと、
施術者として感謝。




最近、なぜこれほどマインドステージを高い状態に保てるのか、
私自身の内側を揺さぶられるような方々のお話をお伺いすることがあります。


「悪いことなど、起きないという信念」
「いかなる状態でも、今を楽しむ明るさ」
「人に優しくいつづけられる気遣いと暖かさ」
それが身からにじみ出ている。


自分が好き、人を信じている、そして他人のために一肌脱ごうするアドラーの3原則を地で行く人たちです。


そんな気高き気風を持っている方々がいるのだと知り、
世の中ってありがたいものだと感じ入る次第です。


素敵な施術者は、自分自身がこのようなマインドステージを持つ人。
そのような良好な気持ちのやりとりをお客様とできる人なのです。
そして影響し合える人です。


マインドステージの高さから、
自らの感情の塊を処理して、
ひとつずつ順序良く体を書き換えられる人に自分がなれているか?


自分がそうならないで、人にそうなれというのも投げやりな言葉遊びです。


だからこそ、そうなれるように心がけ、
人と関われるようになることに、
あこがれますね。