交流分析的見地から俯瞰してお客様との関係をコントロールすることの

クライアントとうまくいかなくなるようなパターン化されたケースがあります。


ここでの設定は、次のような状態を想定しています。


・ すでに施術技術レベルが標準的な状態より上に位置している。
・ お客様に対して誠意ある施術を提供している。
・ お客様の症状が重く10年以上の期間、
  または期間の長さが問題ではないのかもしれないが状態の芳しくないお客様のとき。





初回の施術を受けたとき。
他にはない技術を受けられたことから最初はお客様の期待値が高まってくる。


そのときのお客様からいただくキーワード。
施術者に対して、
「あなたはすごい」「あなたに会えて救われました」「あなたの施術を受けられて本当に良かった」


そして施術者は一生懸命頑張って施術を始める。
それが慢性化した状態で10年もの間、様々な施術院、病院、ヒーリング、心理療法・・・
すでにありとあらゆることを受けてきても治りが悪く、自分の思うようにいかなかった。


それも多くの施術家が外圧をかけられてきた複雑化した体は、
私たち細部まで状態を読み込んで落としこむことで施術方向を決めるものには、つらい。。。
施術という外圧は、二次的被害と言えそうなまでの自然に起きる歪みとは違ったパターンの歪みとなり、
それがまた、複雑な筋肉や関節のかかり具合に変わってしまう。
まるで「どうやって解けばいいのだろうかと思える知恵の輪」を渡されたような、
つらいところまでいかれた方もでてきてしまうほどです。
それで改善が遠のいている人もいます。。。




そのような過酷な条件も整えられたところで、
慢性症状に陥った状態を改善させるためには。


一般的な手順として。
まずは手持ちの定番のセオリー通りの施術技術をきっちり当てはめていく。
そのことでエビデンスとして書籍等に書かれている対応レベルはクリア。


そうすることにより、
改善はあるかもしれません。



すでに10年もの間、多くの整体院等に通われてきたなら、
それは他の腕のいい先生方も、やって当然のことでしょう。


それで改善がなされていないということで、
理詰めで考えれば、これだけじゃ足らない。
だから新たな施術院に可能性を感じて移動。



そのような場合は、やはり体内の患部の状態が一様に深刻なことが多い。
施術者が施術を推し進めていくことで手探りで様子を把握していかなければ、
内側に閉じ込められた問題箇所を探りだすことなどできないという場合がほとんどです。


施術をする過程では、「想定外」が度々でてくる。


その度に、新たに生じた課題に対して、
どのように取り組めばいいか熟慮する。


でも、そのような「想定外」というものなどお客様は最初に想定していないもので、
矢継ぎ早に現れる「想定外」という流れに必死に対応しようとする施術者に対して。


「とっとと直して!」「やっている仕事が遅いんじゃない?」という気持ちになる。
だから、そのように訴えかけるようになります。



ときには施術のはじめの初回では、
「長い間かかったとしてもここで直せればと考えています!」
とお客様がおっしゃられていた言葉をいただいていたりする。
そのような言葉は、臨機応変に変わっていくものですからね。
私はそれほど信じられなくなりました。
私も臨機応変に考える習慣をつけたのです。 ^-^


すると、途中からお客様から
施術者が「責められ」るようになる。


そこで施術者は。
今まで以上にそのお客様のことに責任を感じ、
必死になりふり構わずに頑張って、ちょっと結果が出てくる。


でも、慢性化した状態は一筋縄ではいかないのが普通ですし。
一進一退を繰り返して、
内部にたまった問題箇所の組織修復をはかるようになるので。
好転反応が生じたり。
体のバランスが大きく修正をかけられ
再調整が進むまでは、体の負担感がしんどくなるときがある。


そういった一進一退で、

「一進」があっても「一退」でまた悪くなっていく。
そして「一退」で起きた状況を説明しても理解していただきづらい。
説明と言ってもレントゲン写真の一枚も撮影して明示できるようなものでもないからです。
私どもの経験上このようなことで、といってみても説得力に欠けている。
お客様が施術者に、現状の全責任をとるべきだという言葉で責め続ける。


知らず知らずのうちに、お客様に対して申し訳ないという気持ちが強くなっていく。


本当にこれでいいのか?
何かミスがあったのではないか?




そのようにお客様も言い始める。
実際は施術者の私どものほうが数百倍も施術の理論や技量について熟知しているのだが。


そこでとにかくもう少し頑張ってみようと努力をしていく。


やがてお客様から
「ひどいじゃないか、私は信じて通ってきたのに、全然変わらないじゃないか!」
「もっとひどくなったんじゃないか!」
という怒りの感情が高まった声が現れてくる。



すると施術者は「だが、あなただって、もっと自分自身で出来る努力をしていただけないと・・・」と、
言いたい気持ちがでてきてしまう。


そうなれば、
お客様は怒りで体が硬くなり解けるどころではなくなる。
施術者も冷静に体の状態を読むことができなくなっている。


この時点で、
もう終わっているのです。


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こんな珍しいケースがあるのか!と驚いた方々。



そうじゃありません。
これは実は珍しいケースではないのです。



実際にときどき施術者の友達に聞くと、
同様なことが起きていることなのです。



それは施術者ばかりでなく、
業種を変えて
カウンセリングをするカウンセラーとクライアントとの間でも、
コーチングをするコーチとクライアントとの間でも。



まさに施術家とお客様との間でも起きてるようなことが起きる。
そのようなことを聞いて、
私も「えっ、そうなの!」と驚きました。
他業種にまで同様なことがあるパターン化されたことなんだ。。。



これが。。。


どのようなお客様がそのようになる傾向があるか。
それをコーチングの先生は、明晰に分析して見ておられ教えてくれました。


それはクライアントの傾向は。。。
「さみしがり屋であったり、
自分自身がどこか満たされていないという気持ちがあるクライアント」
だといいます。
そのような際に起こりやすいことなのです。


そしてこのときにこのクライアントに選ばれるのは、
感受性が鋭く責任感があり、真面目な施術家、またはコーチやカウンセラーやセラピスト。
だそうです。




出会えた最初はクライアントは本心で自分を変えてくれる人と出会えた喜びを伝えます。


それが施術やセッションが進むに連れて、
いつしか「直してくれるはずが、役立たず!」という気持ちになり責める。


責められれば、真面目で責任感がある施術家等ほど、自分の力が足りなかったんじゃないかと自分を責める。


そうすると・・・。
施術家は、自分を責めつつ落ち込むわけです。


ここで施術をする側と受ける側の関係は終わってしまうこともありますよね。



ただ実際は施術家やコーチなど優れたものを探す苦労はハンパではなく大変。
それはすでに長い年月ジプシー状態で苦労して探し続けてきたものですから。
またそのときのあてどもなくさまよう状態に移行することは回避したいなら。


するとお客様が「やはり私はあなたの施術を必要としているんです」という。



そしてまた一番最初に出会えた初回のときの気持ちのように、
これからが第一歩が始まり歩き出すんだという気持ちに変化。


ですが、このようなやりとりは幾度となく繰り返されていく。


ちょっと前に状態の経験が蒸し返されて施術者が怒りの目で睨まれて、
自責の念で、、、。



二度目で互いに凝り、関係が終わるか。。。


それとも、性懲りもなくといっていいほど繰り返される。



最初は、お客様が体のつらい立場です。
そして、施術者はお客様を助けようとする救済者としての役目です。
改善が進まない状態で自責の念で自らを責め続ける施術者が生まれ、
それがいつしかお客様が、施術者を攻撃する役に変わります。
そして施術の依頼を断ろうと告げることになるのですが、
するとお客様が「やはりあなたしかいないような気がします。助けてくれませんか」となり、
また以前の施術を受け付けた初回の状態へと変わっていく。


そんなパターン化したドラマの配役が繰り返されてしまう。
そのようなを進行が、他業種でも同様に起きているのです。




「そうだったのか!!」




ただ、残念なことに、
こころから愛情深い言葉を送るような責任感を持ったとき、
かつて繰り返しつらい思いをした経験を思い出してしまう。


お客様との付き合いが、それ以来、怖くなったといいます。
それで施術を生業にするのをあきらめたり、
お客様との距離を創り、
壁を設けるしかない。



そのようなことをいう人もいたのですね。
人情としてそんな気持ちになるものです。



でも、このようなパターン化された人間関係の上で成り立つ、
特殊なケースだと認識することができれば。


自分が人と接するやり方を考える余裕が出てきます。
しっかり場合分けをした上で対応できますよね。


多くはこのようなドラマの配役に組み込まれないようにする。
それが最良でしょう。


私は施術者としては言葉遣いが慎重で、ともすると弱腰です。
「まかしてください!」と胸を張って言うよりも、
「できることはできますからベストを尽くします!」
と言うべきだと思っています。


そして過剰に私の施術に期待なさる方がおられれば、
「ゴッドハンドじゃないから苦しみ抜いて解いてます」
とか、
「ご縁があって施術を受けに来ていただけて感謝しています」
など、
施術を受ける側とすれば、
「おいおいおいおい、大丈夫かい?」
と言われそうな、思われそうな言葉を語ることがほとんどです。
お客様の期待値をわずかながら?わざわざそいでしまうことで、
お通いいただけないお客様もでてくるわけですが、
それはご縁が薄かったのですからと考えています。


そうすることで、
施術者に頼り切るというよりも頼りなさ気だから自分でも頑張るという意識を深めていただきたい。
そうなれば、あまりキャスティングに駆り出されるということもなくなってしまうようです。




ただ、そのようなスタンスであったとしても、
もしも強い力でキャスティングされそうなら、
私からその舞台を勇気を持って降りることです。


たとえそれが、
正座をして頭を地面にこすりつけてでも、です。





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かつてお客様であった方から3年前にメールをいただいたときがあります。


詳細はプライバシーもありますから語れませんが・・・。
15年前ですが私とそちらのお客様との間で、
双方につらい思いをしました。
上述のようなお客様とのやりとりの末、
私が「私の施術ではこれで精一杯です。ごめんなさい」と、
深々と正座して頭を下げて関係を終えた方です。
私の施術技術は今よりも格段に劣りますし、
努力では突き崩せない限界を自覚していました。
筋膜の硬化した部分を緩めることには、
相当研究を独自に加えていたので成果はありましたが、
お客様に納得いただける程ではなかったということです。



私にしてみれば、精神的にぼろぼろになって施術を続けていいか悩み続けた経験になりました。
施術をするものとして、こういったことがごろごろと転がっている状況でも、
必死に這いつくばって、先を目指してほふく前進をするねちっこさがなければ。
自分の身を悪化させて、削っても、どうやっても、逆立ちしても、無理ですし。
「許してください」ということでした。


そのお客様が最後に帰られる際に、
玄関のドアが壊れるほどの大きな音で閉められたのを記憶しております。


そのお客さまのメールには、
私のところを見限られて他に移ったあとのことが語られていました。
「誠実に対応してくれない先生のところは通う気はしない。
だから数回もいかないで、いい先生を見つけに行きます。
ただ仲が良くなった先生とは必ず喧嘩別れをします。
今は以前よりも体調が悪化し、つらいです。」


何年ぶりかのお客様からのメール内容はそのようでした。


どうにかこのメールをいただいたときに、
何かを吹っ切れた感じがあったようです。
それから私のところへお通いいただいて
今、その時だから対応できる施術技術で、
しっかりリリースできたということです。


ただ私も再度お会いするまでは、
正直に申しまして、
信じられないほど、
ブルーな感じでした。
「やっぱり、施術依頼をお断りすべきではないか」と情けないほど迷った記憶があります。



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ただ施術者が、このような経験をしたことがあるというならば。
このような配役をしてきた経験を持つお客様側もいるのですね。


実際は、施術は将棋のように数百手も先を読み手を打ち続ける。
すると慢性症状に悩むお客様は粘り強く通っていただかなければ、
王手の掛け声をかける前に、このような施術者を責めることへと。


そしてよほどのお人好しでない限り、
この時点で施術者は施術を受け付けることは差し控えさせていただきます。


それは、今の私も同様なのです。


よほどの人間関係が成立していて、
お客様の性格をわかっていればいい。
それは文字通りの身内だけなのです。
でない限り、難しいのです。


そのような親兄弟でもない限りには、
訴訟問題にまで発展するようなところまで、
このような配役が繰り返されるならいきます。


だから、
どちらかがこの配役を交代し続けることを、
冷静になり役をおりなければならないのです。
それは無論、私が、そうするしかありません。




おそらく他の施術をする先生方も、
魔法使いのようなことで難解な状態を変えることができるものではない。
一部は、そんなゴッドハンドもいるのかもしれませんが、
大部分はそのようなところではないのが実情でしょう。


人体の全体性を、そのまますべてを読み、
試行錯誤なしに最短ルートで解けるほど、
人間の体は画一的ではないのですからね。


それぞれが個別にユニークです。
それが慢性化した状態で複雑化が進む症状であればあるほど。


たとえば今の私と同じように詰め将棋をするように、
ひとつひとつ丁寧に王手をかけるようにし計算づくで施術を積み重ねる先生の施術。
王手が数手で達すればいいが、状態の改善を積み重ねて状況を明るくさせる変化を起こして、
それを積んでいく経過を見ていかなければ、その後の状態の予測が立たないこともあります。


すると、、、
慢性疾患を持たれた方のときは、
正直、通り一遍等の施術では改善するよりも症状が悪化する速度のほうが強い場合が多くて、
よほど熱意に燃えた情熱のある先生に当たらなければ、
期待するほどの改善はなされないようなこともあります。


私も、そのお客様の状態や状況に合わせて考えていって、
本当に手をしっかりかけきっているから、
どうにかこうにか状態が上向かせることができるのです。


状態を上向かせた施術経験があればノウハウもわかるが、
同時にどれほどそれに手がかかるものかも熟知している。
だから、通り一遍等では難しくて。。。
と思えたりするわけです。



そうすると、このようなパターン化された状態で
施術をなさる先生との人間関係を築いているなら。


お客様側でも、
「なぜ、このようなつらく悔しい思いを繰り返して受けているのか?」
と、過去を振り返る人もいるはずです。


それでは、いつも核心部分の王手となるところまで、
自身の内奥部分にまで施術を受ける前で終わります。


そのようなところから抜けだすことが、できるかどうか。



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実は、昨日、私が不覚にもこのようなところに滑り落ちてしまいそうになり、
お客様に対して、かつてしたようなことをせねばならないのかと思うことに。
数十年、不調を抱えておられる男性です。
状態を読むのは至難の業で、
施術方針についての説明が、
毎回、30分から1時間以上もということもザラにありました。
それはすべて王手をとるための準備をしているという説明です。
ただ単純なものではないから、そのことはわかってほしいと。。。


実に奇っ怪な感じの症状を内側に持っておられますから。


ただその説明が済むと、
施術中にはいつも楽しく談笑していました。


ですが、今の眼の前にいるお客様の目をみる。
それが状況が変わっていて、
かつて観たことがある目です。
これは私が手をつくという状態になりました。


正直に言えば、施術者として様々なやりつくせぬ思いが悔しいです。



成果が上がっていなければ、
私がどれほど王手を狙うため詰将棋をしていたと言ったとしても、
お客様の怒りが収まらない。
「とっとと直して!」「やっている仕事が遅いんじゃない?」という気持ちになる。



残念ながら、施術者がお客様のすべての苦しみを肩代わりできるものでもありません。


施術者といえども完全で完璧な神ではありません。
それはいつも無知の知を持ち成長し続けることが
施術者として生きる許可に値することと思います。


だから毎回のように対策を立ててリリースを深め、
成果を量的に増やしていこうと努めているのです。
そのような範疇で、必死に前に向かい続けていく。


頭で考えて、施術のやり方を進化させ練るほうが、
いずれは、必ず一方ならぬものになることと思っています。


だから、私は魔法を使えませんし、使いたくもないのです。



歯を食いしばり施術技術の技量を増やしていく。
自分の提供していけるところは、
そのような範囲に収まるところ。



そこは幾度となく申し上げたつもりでありますが、




激痛が理性をふっ飛ばしてしまうのです。
気持ちはわかります。



無理矢理でも首を解いてもらえれば
首の激痛から逃れることができるかもしれない。
そう言わしめるほど、気が狂いそうになるほど、
想像を絶するつらさなのでしょう。
もし、私だとしても、彼と同じようにしていたことでしょうね。
きっと、そうだと思います。


ただ理詰めで施術者は考えますから、そんなことはありません。
他人がすでに大きな問題を抱えて強い炎症を携える首をいじりすぎるならば、
全脊椎が問題を起こすのは目に見えています。
お客様が「やってくれ!なぜやってくれないのか!」と声を荒らげられても、
それはそのときのことで、その後、その方が一生「なぜやったのか!!」と、
そのようにおっしゃられるよりは、まだ耐えられることです。


頚椎を解くにもこちらのお客様の場合は外傷性の問題が絡み、特殊です。
先に、胸椎や腰椎等の他を解いて問題の頚椎を乗せる台を作らなければ、
不用意に首を触れない状況だと判断していました。
またコアになる腹部にも、力が入らないという問題もありましたから、
首の現状の凝りを抜いて、コルセットとして支えにもなってもうサポート役をなくすのは、
不都合があったのです。




私なりに頭を使い、安全性を損なわないように、今の持てる力のすべてを投入して接した。
それで、およそ10回目の施術となりました。



それで、、、今回のギリギリのところで。
前回の施術が奇跡的なほどの成果が上がっていたため、
激痛が、おさまってくれていたそうです。。。



まだ、手放しに安心できるものではありませんが。


お客様以上に私が、ほっとしました。


一瞬だけ肩の力を抜くことができて、
一呼吸することができました。





ただしもしも激痛がおさまらずに、
私が地べたに頭を擦りつけていたとしたら。



多くの施術院に通われたそうですが、
私が本体だと指摘しているところは、
どこのところでもスルーされていたそうです。
かなり見つけにくい奥の奥にしまわれている。
そのような患部で、私もそこの研究を長年してみても、
解くのは神がかって難しいところです。
これから慎重にみていかなければならない難題でもある。


おそらくよほどの施術院にご縁を後にいただけなければ、、、
と考えると、その後に、こちらのお客様がどうなるのか。。。
その後にメールで状況を問い合わせることもできないですし。
私自身、後悔が残り続けたことでしょう。



まぁ、そのような私の勝手な思いは、
思いやりというよりも思い上がりで、
取り越し苦労なのかもしれませんが。



せめて、あと数回の王手に手が差し掛かるところへまで、
手を伸ばせればというところに来て、ほっとしています。




そういったことがありました。




このようなセラピストとクライアントとの関係があることをお知らせすべきかどうか、
悩みましたが、今の今までそれに足を引かれる私のような者もいるので書かせていただきました。



長々とした文章、お読みいただきまして感謝いたしております。


どうも、ありがとうございます。 m__m