『 自然体に戻すだけでいい 』

施術をさせていただくとき。
最近、私の脳裏に思い浮かぶ言葉があります。



『 自然体に戻すだけでいい 』



何か余計なものを付け足すのではなく、
何か余分なものを差っ引くのでもない。


そんな足したり引いたりすることなど、
何一つ必要としていない完成形がある。


そのように人体を見つめ直すことです。




すると、、、
体そのもののなかに備わる機能を読み解く際に、
どれだけ事細かい理解が人体全面にまで及ぶか。
体の細部を観察して分析して入るにしたがって、
「切れ目」や「キワ」や「つながり」が見える。
多くは私の頭部内のスクリーンで描かれた世界。


人体を「支える」には?
人体を「動かす」には?
人体の「体液等の基礎代謝」や「消化」「免疫」には?
・・・。


その他、いくつかの視点で体の組織を分解し統合する。
そのように再構成することができればいいだけの話だ。


いまのままの、お客様のお手持ちの素材で十分。


だから、
『 自然体に戻すだけでいい 』




あとは必要なことといえば、
それぞれ人体は十人十色だ。
そのことを認識することです。


たとえば骨盤の骨の形などはまったく各人に開きがある。
大腿骨の長さもしなり方も硬度も太さも、まったく違う。


その違いを把握していけば、
十人十色の自然体の表現があるのが普通だということに。


だから、
人体はこういうようなものだとお仕着せてしまうときは、
個々に異なる自然体を表現できないようにさせてしまう。


そこの立体モデルのパズルがはまりづらい違和感からは、
体の支えてくれる筋骨格系の部材や臓器の位置形状まで
自然体状態には移行できないようなはめ方をしてしまう。



そのような自然体を離れた設定が生み出す
体を支える力、動かす力、、、などからは、
無理矢理にでも支える補助が必要だし、
本来持てる動作力や発力が制限される。


ロスのかさむ結果が導き出されるので、
そこが不調の温床にもなるわけですね。



お客様の体のパーツをチェックしてデータを吸い取り、
それを元にして私の脳内に描いた像から
自然体がどうでるかを観るようにします。


これが「施術手引書や動き方を伝える設計図」になります。
その日ごとにお客様のコンディションは変わります。


そのような見方でいくと、
意外に過去の問診票データの記録が雑念を生み出して、
じゃまになるときもある。
いかにそこを観ないよう、
素の今を観ていくかです。



私が見れる絵は私の人体を見抜く力に比例してきます。
初回の施術などの情報量が浅いときと、
回を重ねてつぶさに詳細を観たときでは
脳内に描かれる像の鮮明さは違うものです。


私が、お客様の像が見えてくれば見えてくるほど。
まずは人体を物質面押さえて物理法則に当てはめる試み。
ありのままのお客様の自然素材の力を掘り起こします。


体のそこかしこには、
やむにやまれずそうしている個性的な身体操作のパターンが折り重なって浸透しています。
そこに手を入れる前に基本構造を見ていくことにより、
後天的にこさえてしまった個性的な身体操作法を観る。


そうすることで「お客様、物理法則に乗っ取らない動きが冴えて個性的ですね!」と言えるのです。



そこからが私の脳内で執り行う作業ですね。
『 自然体に戻すだけでいい 』


そういうというところから
『 自分の自然体を、気づくことへ 』
意識が向いて欲しいところです。


そこまでのステップに進むのが大切ですが、
ハードルが高い場合も多いようですね。





ちなみに
『 自分の自然体を、気づくことへ 』ができるようになるには。
私には、ひとつのポイントが有るように思えます。



体の使い方をおつたえするとき。
「このような体の使い方はいかがでしょうか?」と、
お客様に問いかける。


そのとき、
体のリリースが不十分なときは。
明らかに違和感ばかりが感じられて、
私の指示など聞くに堪えないものだ。
そのように感じられるのがノーマル。
だから容易に身につくものではない。


多くの姿勢をどのようにキープすればいいかつたえるテキストなどが、
十分に生かせない方々がおられるのは、
体内の骨格構造体が安定していない構造物になっているときですね。
それでは抗重力筋だけでは体を支えきれません。


八本足のタコも立ち上がれるのですが、
筋肉を骨化して立ち上がるという芸をすることもできる。
ただそうすると硬化し萎縮した筋肉は筋パワーを取り出した後の状態。
そこでひとつの体を支えるという仕事を仰せつかっているので、
同時に2つ以上の他の仕事をさせることはできないという決まりがあるのです。


それに似た状態が人体にも起こってしまうのです。


それが人体の可能性を大きく削ぐことはあまり実感されている人はいない盲点。


骨格構造体が理想型から離れた量に比例して、
支えの強度が失われる。
建築構造物と変わりない計算ができるのです。


その状態では、自由に使える筋肉の量が減る。
それは体の前側にある屈筋群という感覚神経の通りのいい部位の効きが大幅に削られる状態だから。
新たな身体操作法を学び取るには困難をきたすのですね。


そのとき、たとえば太極拳等の修練をしても感覚がダイレクトに脳に伝えられる状態から遠のいて、
体幹から末端へ流れる筋パワーエネルギーのラインが感覚的に感じ取ることができていないのです。


その状態であるということを把握して、
『 自分の自然体を、気づくことへ 』意識を向けられれば、
自然則から離れ気味な個性的な動きの修正が可能でしょう。
そこを察知しつつ練習していかなければ、
体のズレの補正をしなければならない負荷や負担が上がる。


すると、私どもが言うところの、
練習する分だけメリットもあるかも知れないが、
私が好むその人らしい自然体のすぐれた状態からは遠のく。



それが体のリリースが十分に行き渡り赤ちゃんほどの柔軟性を持ったとき。
明らかに「なるほどね」と感じていただけるようになる。
そして私の指示は、すっと体が心地よさを全身で感じる。
足の裏が地に吸い付く強さになっているし、
背中が広く大きくそして伸びやかに活きる。
そのような今の心地よさを気づいた人には、
容易に体の操作法マニュアルを改定してくれるようです。


本当に納得づくのしあわせ状態を体験すれば、
そちらを選択したいのです。


体の骨格構造体が咬み合わないときには、
そこまでのしあわせ状態は体験できない。
その理由で違和感含みの新たな状態には、
興味関心を持てなくて、
紙くずを捨てるように
ダストボックスに。


もしも理詰めで考え、
新たな動き方や姿勢に興味関心が強烈なら、
そのような人はダストボックスに捨てることはしません。


体感を通して100%の理解はできないものの、
意識的に整理してその概念や体感した部分成果を取っておき、
やがてくるそれらのパズルのピースが組み合わさる機会を待ちます。


そういう人は、化けますよね。


化けた後に、戻りなど心配ないほど確固な変化と、その後の向上を約束してくれています。


そんな人を、何人も、見てきました。。。


そういうことだと思う。




体の悪い部分を見つけたとしても「部品交換」をするような作業は容易にはできません。
それが私達の体ですから。


そんなところを考えてみても、
『 自然体に戻すだけでいい 』という考えは、
落ち着いて自己探求をする人の姿勢を正すきっかけになる言葉になればいいと思います。


自己を受け入れて、
シンプルな元返しを図る。


そこで少しでもお役立ちのサポートをさせていただければ、
私としてはうれしい限りですね。


どうぞよろしくお願いします。