体の操作法を学ぶ上で、失敗はありえない

体の使い方を試行錯誤するときに、
失敗はありません。


(※注意)
ただここは注意深く私の真意を聞いてほしいのですが、
体の状態が悪化しすぎていて大変な方々にまでアジテーションするものではありません。


もし大変なところであったとしても、
それでもその方自身が、
現状でできているところとできていないところがあります。
だからわずかでもできているところを、
少しだけ成長させるということも。
私には、偉大なことだと思います。


決して、トップのアスリートたちに対してのみ目配せをしているのではありません。


その人、その人、今までやってきたことは、ありあり、たくさんあります。
だから、すでに経験していることを元にして、どうやって新しい実験をするか?


そこにある実験に失敗はないということです。





私は、体がつらくなればなるほど、
真剣に自身の身体操作を研究する。


生きるか死ぬかの正面を向き合う。
そのような気持ちになっていると、
「ほんとうはどうしたいのか?」
が行動に結びつくことになります。


問題に、正面を向いていないとき。


楽をして面倒を避けたい気持ちでいるようなときは、
自分への未来の希望が開花する行為をとっていない。


そのことにこころがふさいでくる。
まじめな人ほど、そうなると思う。


どうにか打開しなくちゃといった差し迫った経験は、
実に多くの学びの機会を与えてくれるものでしょう。


そこにきて自分の生き方のスキルを越えた、
圧倒的な自分を変えたいという信念が宿る。


すると長年、いーやいーやとした、
怠け癖が失せてしまう経験がでる。


それからは今までの生き方を変える教室に通うようですね。



そこには「すべては学びに通じている」と考えることができる人と、
失敗と決めつけてしまい途中でやめてしまう人がいるだけなのです。


そこまで考えが至った人においては、
やってみて失敗したと思えることも、
すべてはやってみて次につなげるためのステップだということです。


失敗感を引きずる愚かさから、
ひとまずは逃げ去るように。
そうすればいずれ、
失敗を恐れる恐怖心のブレーキの意味がわかってくれば、
進歩と失敗の数は比例していることがわかってきますし。


やれるところまで、いま。
やろうよ。


そんな気持ちになれれば、
自分の成長は確証される。


そこに人間の偉大さがあると、私は思います。


ミスなく進むつもりよりも、
ミスしながら進めばいいし。
それは誰かから笑われるような恥とは思わない。


淡々と。
そして、淡々と。


そこに新たなる可能性がはじまり、
身体操作を自主トレするものには
そこからわき起こるアイデアから、
多くの自分にフィットした力が養われていくでしょう。




ちょっと話を逸らさせてください。



あなたは、いくつまで生きようと思いますか?


それでは、あなたが生きるその最晩年のとき、
本当にどうにでもなれるような選択権が、今。


今のあなたが最晩年を決める力があるならば。
どのようにしておきたいでしょうか?


そういったことも、
ひとつの目標です。




他にもあなたらしい
身体操作を磨く目的や目標があるはずでしょう。



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たまたま私のときどきお会いする知り合いは、
仕事がガテン系の仕事を生業と仕立てであり、
体をこれから、作り上げていこうとしている。


ガテン系の仕事も、体の使い方如何で、
早々に転業を余儀なくされることもあるので、
どれだけ効率的な身体操作で現状をクリアするか。
そこに向けたクリエイティブな身体操作の向上という仕事をしていくかどうか。


そんなときには、
今までと今と気持ちを切り替えるといいでしょう。



スイッチをいれて、
が〜っと走りだす。


とりあえずは、とっかかるスピード命。



あと私の経験上ひとつだけ言えるのは、
私自身、身体操作を学ぼうとしたとき、
一つだけに学習する科目を絞れなくて、
多数、手を出しすぎました。


手を出しすぎて、テキストが講座が教室が、、、で、
結局、忙しすぎて深まるまで熟慮できなかったので。
ずいぶん労力を溝に捨ててしまったような気がする。
それに気づき、いつしか、
「センサリー・アウエアネス」のような
禅を元にした身体の動きを感じる繊細なエクササイズに傾倒しました。
騒々しく動きすぎたため、静かに動きたくなったのです。
それはそれで今考えれば正解だったようです。
そこからは、
少しずつ行動に計算を乗せることを覚えられました。
(↑行動力がついたというのではなく、体がスムースに操作できるようになったということです)



早めに自分の相性のいいものをみつけて、
そこから身体操作の基礎を深掘りすると、
一番要領よく学べそうな気がいたします。



あとは、、、、
目前の困難を切り崩すという切迫感も必要です。
ですがもうひとつ、考えておいたほうがいいことがあります。
その目標がかなったあとに、どんな気持ちになるのだろうか。
そして、そのあとにはどのようなことが起きて、
次には、あなたは何をするのだろうか。


そんなことをイメージしながら、
課題に取り組むことも大事です。


そんな気持ちでいたほうが
課題から何を得て何にそれを活かすのか。
俯瞰して自身の立ち位置が感じられるので、
モチベーションの維持につながるでしょう。



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最後に繰り返し述べさせてくださいね。


体の使い方は、
運動神経が抜群な人はともかく、
普通は一筋縄じゃ身につかないでしょう。


だから今までの身体操作の思い込みで動き失敗し、
世の中の多くの体の操作法の舌足らずさに苛立ち、
自分でアイデアを出してよかれと思ったことも成果が出なかった。


そんなことは、しょっちゅうあることです。

そんな経験は、私は日々、やっていること。
正直、体が「ばらばら」や「ぼろぼろ」や「ずたずた」になることも、
コアの部位をつかみ出して動かそうとする実験過程では頻繁に起きる。


ですが、自分でひらめいたアイデアを捨てて流さずに、
自分の体で実験して可能性を伸ばしたり、
気づきをましていくことはできます。


あきらめずに磨いていけば、
輝くところが出てくるものです。


そこには「すべては学びに通じている」と考えることができる人と、
失敗と決めつけてしまい途中でやめてしまう人がいるだけなのです。


自分の体にあった、そして自分のペースにあったやり方を見つけて。


主体的に、積極的に、そして楽しみつつ突き進んでみましょう。