動き方の『気づき』だけでは体は変えられない

人の行動が変わるきっかけとなるのが、
「あっ、そうか!!」というような気づきをえたことによると思われます。


たとえば、
立ち居振る舞いのなかで、
この「あっ、そうか!!」とかアハ体験とかいわれるような感情が動くような発見をするほど、
そこへの関心が深いものでなければそのものの内的理解の深さは浅いものですから、
気づき得たとしても記憶の領域に刺さりにくい。


それは実際はそのものの自覚によって左右されるものですから、
以降、少しずつ自身の身を立てる気持ちで理解を深めるように。


他者が与えることができる理解は、
自分の知識レベルがそれに見合った分だけ受け取れる仕組みになっています。


それは簡単なことですよね。
小学一年生に、大学一年生の高等な物理の問題を解けといわれても目を白黒させるでしょう。
そのときどきにあった自分の学びの進ちょく状況にあったものしか受け取れないようにできているものです。
それは別に「良い・悪い」の問題ではなくて、
少しずつステップアップしていくかどうかの課題を自身が取り組むかどうかでしょう。
今の自分にあったテキストを、それぞれが選べばいい。
たとえ今は習熟度が小学一年生でも、学ぶ熱意があれば飛び級だってあるでしょうし。
あきらかに高度な知恵や知識を得られるようになれば、身の処し方も変わってきます。
体の使い方の学習は義務教育じゃありませんから、
どのステージに自分がいればいいかについては自分が選ぶ問題です。


私の体の使い方の指導も、
強く打てば強く響き、弱く打てば弱く響く。
それが正解で、無理矢理にでも高いところを学ばなければならない、
という押し付けが行き過ぎるのはよくないように考えています。


そこは私はじっくりと自分の状態を知り、
そこから表面上の知識ではなく体験をともなった学習でペースを守って進んでいくようにしたほうがいい。


時間がかかったとしても、他者から受け売りの知恵や知識は、
自身で噛み砕いてみなければ意味がないし役立たないでしょう。


プールで泳いだ経験がないのに、座学の本だけで泳ぎをマスターするのはせよというところですよね。





もしあなたが身体操作の知識や知恵や体験値が身に備えられた人へと移行できたとき。


動き方の良質なやり方の模索をするときに、
いくつもの気づきを得るでしょう。
動きの基礎を得られてくると、
自然に体の操作をこうすればいいんじゃないかとひらめき出すのです。


自分で得た気づきは、
そのまま自分の脳に書き込まれて、
スムースにそれが使えるようになることもあります。
そのような『気づき』って、大事だといいますよね。


でも気づいただけではイメージしただけで実践がなければ、
やはり定着率は低いですね。


そして他の人から教えてもらった動きから『あっ、そうか!!』というときがクセモノです。


一瞬腑に落ちて、気づいてわかったような気がするのですが、
それがそのまま身につくかといえばそうではないのです。


私にも経験がありますが、
本で読んでみて感心した身体操作も、
早々に記憶のメモリーから消去されてしまう。
結局、本を読んだ時間がかなり浅い利益しかなかった。



そんなときに、コーチングを学んで知ったことですが。
セルフコーチングを自身でする気構えがあるかどうか。


そこ、重要です!



身体操作も、
気づくことが大事、大事と叫ばれることもありますが、
コーチングの世界では、
気づきが人を変えるとは考えない。


それはどういうことか?


気づいたとしても、そこから得た知恵や知識は、
自身の意識をシフトさせる瞬間を与えるだけの
印象を得るには弱いのです。



人が気付きから得た身体操作の変化を定着させるために、
結果として後にどれだけの時間をそれに割り当てたのか?
というところを重視するのですね。


コーチングセッションを受けていただければ、
そのようなときは、
「やってみて、どう感じた?」 
そして
「さらにそれを改善するには?」
という流れを重視します。



そのような体験学習に十分な時間をかけたものが成果を生む気付きと呼ぶべきものといえる。



一見すると、そんなの当たり前じゃないかといわれそうですが、
気づき知っただけで満足して終える人がほとんどなんです。
そのアイデアが時期に記憶からこぼれ落ちるか、
メモを取ってもやがては死んだ知識に成り下がるか。


そのような扱いになってしまった経験て、ありませんか?



おそらく、私自身、アイデアを思いつくことは相応に量がでてくるときもあるのですが、
そのようなものを気づいても、
自分の体にそれを体験させて身に染み込ませて改良を加えるほどまでは、、、。
正直に言えばできていなかったことも多いと思います。



気づいたあと時間をどのように使うかが、気付きの価値を左右するものです。



コーチングを継続的に契約するときは、
気付きが得られたとクライアントが言えば、
もし実際にやることが困難な難しさをともなうものならば今日明日にできる簡単なステップに分けて、
それをやってみたら次回のセッションかまたは早々に連絡をいただけますかと間髪入れずに頼みます。


そのようにコーチという人を介することで、
気づいたあとにそれをもとにした行動に時間を費やす大切さを学ぶことができるでしょう。


単純ですが、このような体験学習に慣れていくと、考え方の進度は一様に早くなり深まり、
無理なく自分の得たかったものが身に備わる経験をするはずです。


気づいてもそれが意識から流れ去りつつけたもったいない状態であった不毛の大地から、
気づきから自分の意識を大きくシフトさせるほどの大きな変革にまで繋げられるもへと。
コーチングセッションを受けて、それを体験していくことで人が成長するということは、
ここにもひみつの一端があるのです。


数度のコーチングセッションから
気づいてからそれを噛み砕いて実践する時間を費やす約束をして実行する習慣を持つことが、
どれほど自身に大きな見返りをもたらすかを体験してびっくりしたり喜ばしく感じられたり。
私も、そこは実感しました。


違いは大きいですね。



芸能人の武井壮さんは、
自身の身体トレーニング法も、
独自の気付きから多くの成果をえているそうですね。
そのようにテレビで見たことがあります。


武井氏は自分で気づいたことをそのまま流さず、
独自に後のトレーニングメニューに落とし込み、
確実に気づきから飛躍するタイプだと思います。


本来は武井壮さんのようにセルフコーチングが、
自主的にできるような精神力や意志力があれば
どれほどすばらしいことでしょう。



習慣の改善や実行性をともなわなければ意味のない気付きもあるでしょう。
もちろん、気づきの効果的な活かし方は体の動きの修養以外にも同様に言えます。
気づいたあと、それに対して気付きに基づいた課題を出してそれを実施すること。



何事でも「アウェアネス(=気づき)」は大事ですが、
気づいただけではではなにも動かないし、生まれない。



気づきを得た後に時間をどう使用するかが、
単に気づきを得るよりも何十倍も大事です。