ナラティブ・セラピーの本を、少しずつ読んでます


今回の予約順番待ちに並ばれた一番のお客様。


何を隠そう、誰とは言えないのが残念ですが、
私が2016年に通わせていただきましたコーチングスクールで
お知り合いになれた方でした。



そのお客様はしっかりご卒業なされたのでしょう。


私は結局、仕事の関係であと5回ほど出席日数が足らず。。。−.−;


ですが、個人的にコーチングの魅力を感じて、
勉強は続けています。





ナラティブ・アプローチとかナラティブ・セラピーと呼ばれる
物語を通じて自分の人生を改善させる心理療法を学んでいます。


人は、自分の内側で描いたストーリー通りに生きているという。


子供の頃に読み聞かせてくれた昔話。
その昔話が印象に残っているとしよう。


たとえば、
こぶとりじいさん
あまりはっきり内容を覚えてはいないが、^-^;


ウィキペディアから、、、。


*------------------------------------------------------*


あるところに、頬に大きな瘤(こぶ)のある隣どうしの二人の翁がいた。
片方は正直で温厚、もう片方は瘤をからかった子供を殴るなど乱暴で意地悪であった。
ある日の晩、正直な翁が夜更けに鬼の宴会に出くわし、
踊りを披露すると鬼は大変に感心して酒とご馳走をすすめ、
翌晩も来て踊るように命じ、
明日来れば返してやると翁の大きな瘤を「すぽん」と傷も残さず取ってしまった。
それを聞いた隣の意地悪な翁が、
それなら自分の瘤も取ってもらおうと夜更けにその場所に出かけると、
同じように鬼が宴会している。
隣の翁は出鱈目で下手な踊りを披露したので鬼は怒ってしまい、
「ええい、下手くそ!こんな瘤は返してやる。もう二度と来るな」と言って
昨日の翁から取り上げた瘤を意地悪な翁のあいた頬にくっつけると
「今日の宴会はもうやめだ」と興ざめして去ってしまった。
それから正直な翁は瘤がなくなって清々したが、
  意地悪な翁は瘤が二つになり難儀した。


(終わり)
*------------------------------------------------------*



「正直に生きればいいことがあるが、意地悪をすれば悪いことが振りかかる」


そのような教条的な内容だった。


その話から、こぶがふえたいじわるおじいさんを観て、
「いじわるをしたんだからいい気味だ」と思うならば。
いじわるをしたものは罰すればいいと冷めたいいよう。


ただいじわるをしたおじいさんは、
幼少期にいじわるをしなければならないほど
人から辛い目に遭いつづけてきた哀れな人生を送ってきたのかもしれない。
人からも愛されて優しくされて気持ちがやさしくなるよう育ってきたなら、
いじわるをしようなどとは思えないのだろう。


そう考えることはできないでしょうか?



そこで考え方ですが「物語は書き換えていいんです」。
それ以上に、むしろ書き換えてしあわせを深めるようにする必要があるのです。


もしいじわるじいさんが2つの大きなこぶを持って難儀して、
少ない人生の残り時間を悲嘆に暮れて死んでいったとすると。


「2つのこぶをかかえたいじわるじいさんは、
いつもいつも自分だけつらい仕打ちを受け続けて人生を終いまでいくのかと切なくなりました。
その後の人生でもついていない日々を過ごし、
死の間際に、恨み言をいいながら悔し涙を流しました」


というのでは、切なさを感じませんか?


それならば、一気に物語のその後を創作するんです。


「2つのこぶがふえたいじわるじいさんは、
自分の人生の時間が少なくなってきたとき。
このままじゃ、あまりに切なすぎると感じ、
先を急いで善行をつむことに邁進しました。


すると、どうでしょう。


死への道へ旅立つ間際、
『最後の最後、間に合ってよかった、よかった』
と笑顔で、愛するみんなに囲まれて、、、」


そうすることで、
自分が気に入った話に書き換えていくことで、
物語が与える自分への影響が書き換わります。


すると、
私にとって「こぶとりじいさん」の話からは
確実に温かい血が通り始めるようになります。


自分が子供の頃に好きだった昔話や絵本から、
今考えると影響を受けているような気がする。
そのような人が少なからずいます。


私にとっての「こぶとりじいさん」の書き換えように、
自分の気に入る物語に書き換えてしまえば
それからは新たな物語から影響を受け、
今の人生の基底部に関わる価値判断をしはじめる。



そのような、意味付けや意義付けが自在となる、
画期的といってよい物語の活用法があるのです。




では、それをもっと画期的な利用法はないかな?



それは、昔話を書き換えるのと同様に、
自分の人生史を書き換えていくのです。


たとえば私があなたの現在をインタビューして、
今までの自分史(パーソナルヒストリー)を話してもらう。
そこには自分の価値観の目にかなったものが編集され、
口から出てくるものです。


5w1hや思考、感情、行動の柱にしてインタビューを深めて、
客観的にその物語を見つめていく。



たとえば
体の不調からのつらさが長年に渡りつづいているとしましょう。


かなり私のとっても思い切ったつらいたとえ話です。。。


どうしても長い間、つらい時間が続いていくならば、
奇跡的な改善があると期待していたとしても、
それが裏切られた気持ちになったことがあっただろう。
それを何十回もまた何百回も繰り返してきた経験をした。


そうなったとき、
「もしも、自分のこの痛みや苦しみさえなければ・・・」
と、涙がでるほど悔しい時間を過ごしてきたことも。


そして、いつしか改善の期待をしないということが、
期待が裏切られて苦しむつらさから自分を守ることになる。
そういうことと本能的に悟り鎧を身につけて、身を固める。。。


そのような行動を無意識にとり続けるような際の呪縛は。
客観的に自分を見つめる目がなければわからないだろう。


未来を自分で予言するストーリーがどうであるのか。
無意識化に描かれて信じてしまうならば、
そのストーリー通りに進むようしはじめてしまう。


人は、経験や物語や思考や社会の影響から自分自身の進むべき道標を得る。
それらから総合した影響から物語が描かれる。


その物語は、脳から無意識のエリアにインストールされ、
その事実に気づかないまま、その人生経路を歩むようだ。




ならば、自分が気づかないうちに創造した自分史を話し、
その過去からの自分史からの惰性で生まれた思い付きが
「ちょっとこれは明るい未来じゃないな」
「達成感もなくて、よくないんじゃない」
など、書き換えたくなるような内容であったとしたなら。


過去の自分をヘタレだと責めることをやめて、
「本当によくやってきてくれたから、感謝しているよ」
「あんな、大変でつらいなか、がんばってきたよね。ありがとう。」
と感謝の言葉を散りばめて。


それまでの自分にエールを贈り、
これからの人生に花束を添えていこう。


そこからたどり着いた今の自分はどんな自分なのかを想像しよう。


そのうえでどのような未来(ゴール)を創作できたら気分がいい?
そこをイメージして話してみよう。


これからの人生を意図的に創作して、
素敵なストーリーに編集し解釈を加え書き換えます。


そうやって自分の内側に、
感動的なこれからの自分史が描き出されたときには、
その物語が、今からの自分を運んでいってくれます。





手技療法の施術者にしてみれば、
このときに生じた心的なブロックの硬さは、
積極的にタッチすべきものではありません。


生兵法は怪我のもとですから、
「私にはできないことがあります」
「私の仕事の範囲を超えています」
というようにするのが正解です。


特に欧米等では、
そうすることが義務だとされます。
自分の専門外までは責任が負えないのです。


ただ施術の成果を不安定化させることは同業者の中でも知られていることでもあって、
私程度の施術者では回避して改善への道へ導ききれないこともあります。
相当に強い精神的な緊張から得られるキラーストレスからの影響を、
自分史のなかから常々受け続けてきたとするならば。


体の痛みと心の苦しみは、同時に同じエリアの脳で感じるものです。


私自身、ここ最近、自分の中に描かれた物語を話し、
自分をわかっているようでいてわかっていなかった。
そのようなことに意識が向けることができました。


私自身、
コーチングスキルをフルに使ったこれからの自分史の描き方が、
今後の自分づくりに多大な素晴らしい影響を作り出せると感じ、
少しずつ自分にあったやり方を工夫し掘り出そうと思います。



「へ〜、ナラティブ・セラピーっていうのも面白そう!」
と感じられた人がおられましたら、
多くの関係書籍がありますから読んでみてくださいね!



子供のワクワクするような目線で意図的に選択した充実した未来(ゴール)の物語を描いて、
ゴールから今の自分のいる場所まで逆算してたどる道に線を描いてください。


ときとして、このナラティブ・セラピーで得られた新たな自分史が、
モチベーションを高め続けてくれます。
それは挫けそうになったときの自分を励ましてくれるでしょう。



創りだした物語で、
ゴールの自分の姿を経験することで、
空想の映画で見たストーリーの自分が、
それに近い形で現れることもあるのかもしれない。






最後に。


私が通っていたコーチングスクールの講師は、いいました。


今の私たちの多くは、内省的に考えるのが苦手になっています。
残念ながら、現状の自分を気づいていない、知らないんです。
そして、ゴールのことも知らないんです。
そのようなことがほとんどなんです。



だからコーチは、
相手が現状の自分をよく知らないから内省してそれに気づく手伝いをするのです。
ゴールを設定するときにも、かつての自分が勇気をくじかれていたらそのままの自分なんてこの程度だという
そこそこの夢しか描こうとしないときには、粘りに粘って食らいついて、
「何ら制約がなければ何をしたい?」など、
必死にクライアントがこれは100点満点だと感じられる豊かな夢を口から出すまで、
やっていくのです。


そんな夢や希望の言葉は、最初から出てくるものじゃないかもしれませんが、
繰り返しセッションを続け、これからを生きる自分の大器を見出してもらったときに。


そのようなとき、その人の人生に深く関わることができる仕事をしたと言えるのです。


そのような姿勢で、
クライアントにインタビューをして、承認して、編集して、
唯一無比で天然記念物的オリジナルなクライアント自身が満足できる夢を語ってもらい、
それを聞き受ける役割がコーチなんです。


そのようなことを、申しておられます。



気合が入ったコーチングの末に内省的に自身を発掘して描き出した物語は、
健康面だけに限ったことではなく、
他、様々な人生に関わる羅針盤のような機能を持つものでしょう。