周囲の支えを指折り数えるような人の品格が素地になるのかも


共同体感覚。


人間は、元々が牙も持たず、
一人きりで野生に野放しとされれば生き抜くことは容易ではない存在だ。


考えように寄っては、
他の動物は産み落とされた時点で親の保護を必要とせずに生き抜くものさえいる。
人間は、他の動物と比べ長きに渡り親や社会にさえ面倒を見てもらい続けている。


元来がそんな「弱い存在」だからこそ、
人々は集い、協力して苦難を乗り越え生き抜いてこれた。
そんな共同体に属する者たちが、

お互いが他者を活かすような貢献をすることが喜びとなった。



社会という共同体にて暮らすもの同士が、
気持よく相手に自分のできる力を触りのない程度で提供して、
それに対し感謝の念や言葉を送り合える生き方が強みだろう。
身近な周囲の支えがあったから、人は生き抜いてこれたのだ。


そして、その身近な周囲の支えを拡張していく、
社会という共同体から、ひとつ大きくすれば大自然に属する。
そこで与えられた恵みが、人を強く支え続けた上で生きられている。
自信を持って言えるのは、
自分が何かをやってやろうという息巻く思いを語る前に、
どれだけ多くの周囲の身近な支えがあって自分がいるのか。
そこを噛み締め、実直に感謝の念を抱けなければ、
そのもののもつ本来の人間を互いに尊重する理由に乗って、
融通が効かないようになってしまう。




先日、仕事が終わり夜に友人と会食の際。

いわく床屋談義に花が咲いた。


「ブラックな会社」と「ホワイトな会社」で、便宜上分けたとする。


そのふたつがあるとすれば、
ブラックな会社は社会から消えるべきで、ホワイトな会社が残るべきだ。
そんなことを、彼はしきりに訴えていた。


ブラックな会社を、「人間不在の組織」とし、
ホワイトな会社を、「人間尊重の組織」とする。


ブラックな会社は人間不在の組織改革がなされていく過程で、
労使の軋轢が生まれていく。
すると労働に対しての貢献感が削がれるのかもしれない。
そうなると、会社という組織内部で培われるべき共同体感覚が希薄化していく。


すると共同体内の周囲の支えが巡り巡らず融通が効かないようになっていく。
友人が会社で組織改革を話し合った際にも、
大概が個人の利益が先に念頭に置かれた発表会に終止したという感じで、
互いの仕事を円滑化させるアイデアを口にする者は少なかったそうだ。
そこを残念がっていた。



自分がすでに身近な周囲に支えられて生きる存在だと気づいておらず、
感謝が控えめになっていけばいくほど。
人間不在の改革が進み続けるのかもしれません。



「人間不在の改革」から「人間尊重の経営」へ。


私はコーチングスクールの音声教材を幾度と耳にして、
共同体感覚が増していくことが
人の生きる幸せを感じる大切な3要素のひとつだという言葉に共感します。



すでに自身がどれだけ周囲の支えを受取り育まれているものなのか。
それを指折り数える感謝の気持ちが育てる者が経営者となるならば。
品性や品格が、仮に今はなくとも、いずれは大輪として芽吹くはず。


ホワイトな会社の素地を持つと言ってよいのでしょう。


そんな会社ならば働きたいという人材が現れるのも自然のこと。
そしてそんな会社だったらもり立てていきたいと心を持つのも、自然に起きること。



日頃、会社勤めをしている人にとって、精神的な安定があるかどうかは、
ホワイトな会社で自分は働けていて、幸運だと感じられるかどうかかも。


ホワイトな気持ちになるというのはどういうことか。
私にはわかりませんが、自分で周囲の支えを指折り数えて感謝しているような素地を持った人になれれば。
それはそれで、すてきな人生を送っているともいえるのでしょうか。


なにげなく、そのようなことを思った会食でした。 ^-^