二胡は楽に弾いたほうが、いい。体も、楽に動くほうが、いい。

体の使い方について、
合理的かつ機能的な操作を妨げる動作や操作方法を覚えてしまったとき。


 身体操縦法におけるミス・プログラミングをしてしまった、、とか、
 身体操作プログラムにバグがあるようだ、、とか。


そうなると。
いつしか体を緊張したままの操作に居着いて、
マイナスの影響を蓄積している現状に気づけなくなります。


本来は、体の操作について、
もっと楽にその動作ができないか、
もっと快適な姿勢がとれないものか。
得てして、楽に、快適に身体操作ができるから呼吸が整えられて重心も落ち着いていく。
そして、さらなる向上のステップへと進むという成長過程を通るものが、
生命を宿すものの生きる術だ。


未来の自分を愛し、誠意ある心のままでありつづけようと務める。


そのように自分に尽くす目的を持ちながら「もっと楽に、快適に」問いかけ続けること。


それは大事なことですよね。





余談ですが、二胡を習っているときに、先生のアドバイスにありました。
二胡を弾くとき、緊張したり息を止めていてはダメだ。
もっと体を楽に活かせる操作を探しなさい。
それが二胡をうまく弾くことなんだ」


意図的に緊張した際の自分の姿勢を客観視して、
さらに楽な操作や姿勢で置き換えられないかと考えなさいということだ。


深くリラックスする。
そしてつぶさに観察をして安定的な自身の内側に張り巡らされたセンサーに問いかける。
「先ほどの状態は息が詰まっていたし、緊張の度合いが強く指が固まっていたことに気づいた。
それでは息を詰めないようにして、楽に快適に弾くためには。。。」


と、具体的な案件での自問自答を繰り返していく。
すると、やがてはその解決策が思い浮かぶものです。


たとえば、
「実力云々を無視した強い自分のプライドが、
先生の前で弾くことのプレッシャーを強くさせていたんだな。


だが別に先生にほめられるのが、最終ゴールではないんだ。
ゴールに至って弾く自分の姿をイメージして素直に先生のアドバイスを、
ひとつでも多く受け取り理解していく時期だ。


だったら、とにかくもっと楽に、快適に弾く。
そこへの意識を据えて取り組んだほうがいい。


したたかに活きるには、そのような計らいでよいと考えている」




そのようなことを念じるように未来の自分を輝かしいものへと大事に考えるとき。


リラックスして自己を観察して計算を繰り返していけば、
初心者モードでわからないことだらけで二胡を弾くしんどさも消える。
かえって、いつもの私が施術研究でおこなうような、
私しか思いつけないような独特なやり方で上り詰めようと言う視点で遊び心いっぱいに火がつきだす。


おおよそ下手なまんまがキープされたとしても、
施術をする視点でばかりものを見る私にとって、
二胡のような別のジャンルのものに取り組むのは新鮮です。
そのおかげで、二胡研究途中で得られた気づきが施術にも活かされつつある、この頃です。

^-^




そのような二胡研究でも意識した延長線上で身体操作上の発見もしていくことができるはずだ。
もっと楽ちんにできないか?
もっと快適にできないか?



身体操作が「楽にできる」というのは、
非力な力が抜けた物事への対処しづらい状態から、
余裕ある力が取り出せる身体の内側にある潜在能力を発掘するということだ。




たとえば、体を前傾させた立ち方を、無自覚のうちにしてしまう方がいるとしよう。


その場合、前方への転倒のリスクを回避するために、
大腿直筋や外側広筋へ過剰な緊急避難を起こします。
それら屈筋群を固めて体が前へ転倒するのを防ぐための支え棒にしているのですね。


そうすることにより転倒は免れます。


それは負傷が予測される転倒を回避するという目的をもって
自己防衛能力を働かせ
反射的に(←無意識のうちに)屈筋群を萎縮させることで
つらい体の使い方へとまっさきに陥る緊急避難のときに起こる仕組み。


それは、転倒して頭部を打ち重大な命に関わる負傷を追うようなリスクに恐怖したときの対処。
根っこは『恐怖心』に根ざしている。


そういった状態が長らく続くとなると、
いつしか大腿直筋や外側広筋のようなふとももの前側の筋肉がカチンコチンにできていないと、
強い違和感や不安感を引き起こしてしまうような反応に縛られる人になってしまう。
それは大腿直筋や外側広筋を固めていたほうが安心もするし、
いつもの立ち方でそれら筋肉を硬直させて立つことに慣れているから、
そのままで、ずっと、ずっと、いようとする。
そうして、自分を転倒から守っているのです。


はっきりいって、辛辣な言い方をすれば、
バカのひとつ覚えのように、そうします。
それしか方法がないのだと、信じている。。。。


この状態の強い人は、残念ですが、施術院で施術を受けただけでは、
容易に元の歪みの状態に戻るようです。
中途半端に腰痛や肩こりがあって、その主訴部分のみを和らげられるならば、
かえって後にさらに腰痛や肩こりが悪化し始めて、
改善が前進するどころか後退する人もでてくるほどといいます。


このような骨盤が前傾して起きる問題が、
いったん生じてしまうと、
 ときとして強烈な屈筋緊張状態におちいるケースがでてきます。




すると体のバランサーや筋緊張を察知するセンサーなどが働かなくなる。
そうなると伸筋群の筋肉部位も屈筋の緊張に引っ張られて萎縮緊張化へ。
伸筋群の萎縮とは、
背中の起立筋やハムストリング等が立位で天地へ伸びやかに広がることを妨げる状態。
ときには腎臓裏の部位に太く深部までつづくしこりを挟み込んでしまう人もいますし、
腎虚状態に陥ったり、腎経の経絡上の問題が生じるケースです)
腰仙関節部分の椎間板がつぶれたり、
第一頚椎やその下の頚椎部分の椎間板が前傾ショートしたり
それを行き過ぎれば胸椎部分にまで椎骨の並びの変位がでてしまう。


それは、「なぜか?」と考えれば、
もともと背中側の起立筋等は緩めて伸ばす感じで脊椎骨にそっと沿わせつつ、
横隔膜部分の呼吸力等を持って体を上の方向へと引き伸ばして
重力で縮みがちな椎間板を持ち上げて緩める役割があるのです。
そういった重力に逆らえるほどの強力な上方への押上のパワーを持ち、
横隔膜や骨盤隔膜、胸隔膜などと協力して発揮できる仕組みになっている。


それが、いつのまにか骨盤が前傾して立つ習慣を身につけたときに、
体の前面の呼吸筋といえるような部分が緊張し萎縮したままとなると、
背中側の伸筋もその屈筋の緊急避難回避の操作に従うしかないよう設定されているので。


体を浮かせて上方へと伸ばして椎間板を開放させリラックスさせる背中側の伸筋が、
いつしか、その人の背中側で、自分の脊椎の椎間板を強力に閉じて萎縮させる悪役に回り出す。


それは椎間板とは、脳と各臓器等につなぐネットワークを組む脊髄神経を、
椎間孔という穴が出入りぐちになって、椎間板が十分なボリュウムがなくなると、
椎間孔狭窄という狭窄、
つまり脊髄神経が通る穴が小さくすぼめられて神経伝達上のノイズが入りだすようになってしまう。


俗にいう、
不定愁訴症候群だったり自律神経失調症といえるような方々の多くは、
このような様子であるといわれていますね。


またたとえば、
心臓部分が負担があるなというと胸椎3,4番当たりの状態が縮んだりねじれていたりよじれていたり。
それは心臓へと向かう脊髄神経が出ているのが胸椎3・4当たりの椎間孔であり、
その椎間孔狭窄等の問題が置きてしまえば脳と心臓との正常な情報のやり取り伝達ができずに、
心臓部の働きに誤動作が生じやすくなるということなんです。


そして腎臓裏部分に強力な大きな幅を占めたしこりがあれば、
腎臓という臓器に向かう神経云々の話を飛ばして、
腎臓自体が縦になって配置できずに斜めになって、
それも強烈な腰背部や横隔膜裏手の引き連れなどからも
腎臓を不用意な牽引して腎臓の状態を圧迫に近い異常事態に陥れてみたり。


そのようなことも、
背中側の起立筋群がいったん固まって萎縮してしまうと起きたりしてしまうものです。


ただある程度の柔軟性がある方々は、
そういった状態でもセルフワークで起立筋群をストレッチをしたり
ストレッチポールやランブルローラーを使ったり。
がんばって継続的な対処をしていけば改善が見込まれるでしょう。


ですがなかには脊椎前側にある喉の前の上部頚椎から下部腰椎当たりまで伸びる靭帯が、
非常に強い萎縮状態をしめしてしまう方々もおられます。
個人的に今までお会いした方々ではという限定情報ではありますが、
そこまでの根深い靭帯が萎縮すると身長は縮みがちになってみたり、
セルフワークでの対処だけでは焼け石に水のように自分でも感じられて途方に暮れたり。


なかなか対処しづらい状態に陥る場合があります。


私も最近、ようやく独自のやり方で、
そちらへのアプローチのヒントを握りしめてリリースのトライアルして
いく人もの成果が感じられ始めたころです。
本当に試行錯誤の過程は30年に渡るほど。。。
(試行錯誤のひとつには、逆さぶら下がり健康器の利用実験で、
現状もそちらは部屋にでーんと異彩を放つ感じです)



もし、二胡の先生の言葉を借りて、
身体操作について私がアドバイスをさせて頂くなら、次のようになるのでしょう。


「体を動かすときは、緊張したり息を止めていてはダメだ。
もっと体を楽に活かせる操作を探しなさい。
それが体をうまく操縦するということなんだ」


体の操作時の緊張を感じとろう。
息を止めていないでしょうか。


筋肉がコチコチになっていませんか?


体が傾いていませんか?


関節が詰まってはいませんか?


肩は前に行き過ぎていないでしょうか?


股関節は外旋していますか?


その他にも多くの楽で快適な体の操作を遠のける具体的な状態は存在するでしょう。


一つの体の不具合な操作は、
2つも3つも、またはそれ以上の不具合な操作を自動的にもたらすようできています。


ひとつの筋肉は必ず関節をまたいで付着しており、
そのひとつの関節が不具合ある状態に持っていかれれば、
同時にその関節を共有する関連筋ともいわれるような筋肉が連動連鎖して問題を起こします。


体を楽に、快適に使おうとする追求心を手放したときに、
身体は理想姿勢や理想的なムーブメントへの移行を阻害して機能異常を起こすものです。


そして、
大腿直筋を一つだけ凝らせてしまう骨盤部の前傾や
それにともなう閉じすぎや開き過ぎでの固定。
その裏側では、
脊柱起立筋群というパワフルな伸筋群の異常ともいえるような体へのダメージを呼ぶものです。


そのことを知っていて、
対処する術を持つ人は幸いです。



また、先日、お客様のおひとりに、
立位姿勢で、かかと側に乗ろうとすると、余計に大腿直筋などの太もも前に力が入ったり、
つま先が浮き上がって安定しないという方がおられました。
前提として、すでにこちらのお客様の身体状況としては、
問題部分の筋肉群はだいぶゆるまるような対処が進んでのこと。
立ちやすい傾向にまで体が仕上がりだしているといえるでしょう。


なのですが、、、どうも、正確な理想姿勢で立とうとがんばろうとすると、、、
大腿直筋が固まってしまうという課題を持っておられました。


その方が工夫してなさった対処は、
大腿直筋の固まる仕組みは、
体のつっかえ棒である筋肉として使ってきた大腿直筋等を緩めると、
転倒して怪我をするのではという本能的恐怖からの過剰なブレーキ。


たいてい、そういった恐怖心に根ざした際のブレーキは相当早く踏み込むというのが、普通なのです。


体を立てても倒れるはずがない様子の場面でも、
事前に大腿直筋等を固めて準備をするんですね。


そういったときには、
どうすればよいのか。。。


転倒しても大丈夫な状況を設定して、
何度か転倒させてみつつ大腿直筋等にかけられるブレーキを
徐々に遅らせていくという対応をするときがあります。


そちらをトライしてもらえればと思って、
私が言葉で「転倒しても、大丈夫だよ、というところで練習してみてくださいね」というと、


同業者の先生でもあるお客様でして、
そのようなちょっとしたイメージや意味の含んだアドバイスを聴いただけで、
早めにブレーキを踏む傾向を遅らせて、
自力で大腿直筋等を緩めて立てるようになっておられました。


恐怖心に根ざした反射を調整するのは容易ではないものです。
それを私も知っていますから、言葉だけのアドバイスで、
自身の頭で機転を利かせて理解を深め楽で快適な状態へ。



自分の身体操作プログラムのバグを取り除いちゃいました。



言葉で聞くと、簡単そうですが、これができるのは50人に1人いるかどうか。。。
そのくらいの割合です。


私も、自分の体でそれを体現するには、そうやすやすとは行かないものです。


さすが、ですね。




かなり多くの身体操作プログラムのバグは、
屈筋の先行する不用意な緊急避難回避の末に植え付けられた緊張グセにより
運動神経系やバランス系の神経麻痺が引き起こされ、そこから端を発するものなのです。


そこに生じる仕組みがどうであるか、
つぶさに見つめ感応感受したならば。


楽で快適、なおかつ機能的で、美しい動きとは?


そのようなひとつの回答が、
みえて感じられるものです。


屈筋群の緊張グセを取り除いた後に、
肥沃に広がる大地が現れるかのようです。



大腿直筋等を固めないで立てるすべを身につけたお客様は、
今後、改善のステップペースが早まっていくことでしょう。




そして、そのようなステップへと進まれるお客様は決まって言うのです。


「なんで、大腿直筋等を固めていたのか、理由は承知しているが、
まったくもって、いまさらながらになにをやっていたことやら!
腹が立つよなぁ〜!!!」
と。


そうやって、以前の状態と決別して、あらたな自分らしさという頂を目指すのでしょう。