遅めのお彼岸、墓参りと施術アイデアのキャッチと、その他、もろもろ

私的なことですいません。

一昨日夜から昨日にかけて、9月26日の秋彼岸は過ぎ、
遅めのお彼岸の墓参りにいってきました。

千葉県の香取神宮という神社がある方向のお寺で、香取神宮をお参りして1時間以上かけて歩きお寺に向かいます。
帰りは該当一つない高速バス佐原香取IC乗り場で、震えながらバスが来るのを待つ


香取神宮とお寺との距離があり農道や森をつっきて歩きながら進む感じです。
すると台風15号の影響で、生木が根本付近で裂けて倒れているものが多く、
私が見ただけで13本ほど放置してました。
それらをチェーンソーで切っている人もいてご苦労しておられました。

それなのに台風19号の接近、上陸の恐れがあるとは、今から相当、肩に力が入ります。。。
3連休初日の12日(土)から二日目の13日(日)で、予想されるエリアは紀伊半島付近から関東平野
現時点では東京都心も、いわゆる「直撃」の恐れがあり、
台風本体の発達した雲が通過していく際には記録的な暴風が吹く可能性があるそうです。。。

私の家は、トタン屋根が飛んでしまうかもしれません。
前回の15号でもまずかったのですから、

 

 

別の話になりますが、
いつも墓参りの際に、
香取神宮境内とうちの墓のある寺の妙香寺の夢殿というお堂の前で瞑想をします。

私の場合、瞑想中に無になる深い状態を意識するときと、
イデアを生み出すためにメンタルスクリーンになにかの像を映写するというときの二つがあります。
後者では、さまざまな案や映像が現れては消えていきます。

 


寺の夢殿は、由来があります。
昔々、お堂内で寺住職が寝ていたら夢に釈迦如来がでてきて教えを説き悟りを開いたという聖地だそうです。
ですがお堂内は撒布系でダンボール箱がいくつか置いてあるという様子です、
その軒下をお借りして、いつものごとく瞑想。
そのときに仕事上のアイデアがよく出てきます。

夢殿隣のすぐ横にあるお寺の側面の白壁が、だいぶ落ちてはげて、下地がでてきたいることに気が付きました。
下に破片が残るでもないため以前もそうだったはずです。
ですが、同じものを見ても、そのものが何らかの注意力をもって見なければ気づけないものです。
白壁のしっくい部分が家の内部の壁を保護して多年にわたって寺本堂を持たせるためのものだが、
そこが欠けているので補修せよということなのでしょう。

そこは大事ですね。
修繕費を檀家だから寄進せねばということは、もっともです。

 

ただ、私にはそれ以外のことも、脳裏によぎりました。
それは人体にもガードマン的に神がつけた保護壁が、ぼろぼろになって崩れてしまっておられる。
それによりもろい内部組織が外に露呈して危険な状態になって病気になりやすくなっているから、
白壁に似たガード役を上から塗りなおして身を守りなさい、といわれたような気がしてきました。

断片的に様々なイメージが浮かんでは、消える前にノートに書き留めてといことを繰り返すのだが、
血液やリンパ液その他の体液の代謝不自然による停滞や滞留は、
太い幹の木が細いつたが絡まりつく植物の締め付けで枯れるような状態は人の体内でも起こるという千島学説の一説。
その絡まって幹の内部の水の流れを締め付けてさえぎるものを、どうやって排除できるか。

 

この度は香取神宮で、でてきたイメージは「真鍮製スティック」を用いなさいというものでした。
香取神宮では、ぽつん、ぽつんと、数少ないが重要なイメージがでてきます。

 

ホットストーンの熱。
なかなかそれだけでは難しいというところも見え隠れもしてきているのです。

それをカバーできるものは?

その次のシーンで思い浮かべられたものは真鍮製スティックでした。
普段は、私はこのものを色相から金龍の牙とイメージしております。

私が去年、使っていた、真鍮製スティック。
かんかんとクラップしたり、ずりずりしていたものですね。
石よりも金属を温めて使い高い直進性の生きた刺激が取り出せるというもの。

それに温められたことで神経的に炎症を持っている場所のリリースをするとき。
そうすれば神経へ瞬時に感じる通電した際の痛みが大幅に軽減するのだろうか?
アプローチのとの痛みの軽減理由は、ただの冷たさがある冷めた石でこすれば激痛だが、
40度前後のホットストーンでこすると痛みがなくリリース幅も好結果を残せるのと同様。
そこまではわかっているのですが、
神経系の痛みは真鍮製スティックの冷たい時と暖かい時とどちらがよい成績でリリースが叶うのか。

そこまでは想像できなかったから、
おもしろそうな実験になると思いノートに。

 


そして先ほど実験をしてみました。

温めた真鍮製スティックでアプローチしたほうが、
痛みが軽減しているだけでなく、成果も上々です。
お客様は、服の上から軽くこすられるだけなので、
熱いとは感じませんし、あって暖かい程度です。
(ただし肌にじかに急に当たる事故がおきると、熱いです。
やけどになるほどではないのです。
ですがこの熱さを何度か体験すると、
「それだけは、勘弁してくれと」いわれそうで注意が必要です。
ただ、意外なほど服の上からなら、心地よい程度どまりで大丈夫ですね。)

ですが加熱器で温めて取り出すときの私の手が、
「うぉっ、あちちっ」となりました。 

やるとは思ってたので驚きませんが、
石よりも熱さの受け渡しの鋭さがありますから。
この特性は神経系のケアを狙うときは活きますね。
すぐに冷めるので、熱管理が難しいですね。

 


あとはお寺のほうでは、驚くほどのビジョン数が押し寄せてきて、
ノートに書きだせるのは、その、ほんの一部だけ。
もともとがそのお寺は、かつては下小野城という野城があった跡地に建つもので、
山間部にできた城なので、私が香取神宮から足を延ばすのもやっかいなわけです。
ただ何らかのエネルギーがたまりやすい場の力があるようにも感じられる
貴重な個人的な修行の場です。

 

そのノートに書いた文字に「エネルギー・ロス」との書き込み。

人はエネルギーを食べ物を食べることで得て、
そのエネルギーを消費して生活を送ります。
ただそれがある人は小食でも十分動けるし、
そのほうが調子がいいという人もいますが、
たくさん食べても満たされない人もいます。

今の時代では、エネルギー摂取不足で体を壊す人は少ないし、
その場合は、私のワーク以前に食堂へ行くべきです。
おいしい食事こそ「エネルギー・チャージ」になり、
エナジードリンクの広告のように聞こえますが、
身体内部の勢力を伸ばすお薬にもなりますから。
非常に大切なものでしょう。

ただ私が「エネルギーロス」として思い浮かんだ映像は、
油のさしていないフレームやタイヤがひん曲がった自転車や自動車が、
「ぎーっっ」というこすれて摩擦し、きな臭いにおいがついた映像です。
それがエンドレスループして、現れてきました。

耳をふさぎたくなるような、背筋がすくむいやな音で近寄りたくなくなります。
それらはいずれは壊れて動けなくなるだろう。

聞いているとそう思える不安になる音が、
問題があることを教えてくれるのです。

現状、整備不良だということは、
その音を耳にすれば誰だってわかります。

ですが人体には自転車や自動車ならわかるような、
わかりやすい判断がなかなかつかないものでしょう。

人体に多くの整備が必要とされている箇所が存在していても、
自動車のような聞いてていて不安になる音はならないものです。
痛みがでて「きゃぁー」といいたくなったとしても、
それも無意識に極力痛みが治まるような体裁きをして、
無難にやり過ごしてしまう。

どこに問題の根があるか出す前に、「たった今、動けるというのが優先」という性質です。
野性の時にそうじゃないと、捕食動物に真っ先に襲われて食べられていたためでしょうか。
とりあえず身動きがとれるように、ということを優先して脳が痛みを軽減したゆがんだ動きの研究をし始めるのです。
そして、そうやって得た体のゆがみのパターンは、自分にとっては必要不可欠でなくてはならないというよりも、
救世主伝説で語られるヒーロー的存在です。
なんたって、動けなかったところから動けるようにしてくれて、
オオカミが襲ってきても逃げられるようにしてくれているのですから。

とりあえず、そういったときの急場をしのぐというの課題であった時代が、
私たちの遺伝子には脈々とつたわっているわけです。

人体の整備不良の裏側に脈管系の詰まりが生じて代謝不自然へ。
そのような流れになっているケースが多いからどうにかしたほうがいいというのでしょう。


医学の祖、ヒポクラテスは、血液に問題が出て人は病になるものだといいました。

斎藤一人さんは、腸がよごれて、そのよごれから生れ出た不浄なものが体につねに吸収されることで、
血液も汚れだすし、万病がそこから起こるのだといいました。


ボディワーク、特に動きを大切に考える者たちにしてみると、
上述の両名の先生方のお考えはもっともと承知いたしますし、
まっさきにそこに着手しておいたほうが効率がいいでしょう。

ですが加えることの、日本に生きる者たちの万病の元は、
動きの不合理性によって非常に大きなものへと助長されておるものだと感じています。

それは、、、特定の病を持つ者の姿勢や身体的動作の特徴が、
見るものが見ると、実によく的確に当てはまるからなのです。
(残念ながら私にはそこを病理的に因果づけてみる力が、まだありません。
 いまの私は中医学を学び病理病因を知り分類付けして養成しているところです)


この部分は私は興味関心はありますが専門とはいいがたい。
だからどなたかフェルデンクライス・メソッドの先生など
長期に特別な研究を積み重ねる方々のワークを受けて、
ご本人が私が申しあげているところの開眼ができる機会をえられるかどうか。

私自身、一番、母の介護をしていた時に後悔していたことは、
母自身がやりたいとは口で言っても、
なかなかそういった身体操作の勉強には腰が上がらなくて。
カーブスでトレーニングをがんばっていたんです。
確かにパワーも代謝もよくなるんですが、
私が言っている意味合いの体には遠い状態です。。。

それは、、、。

 

そこについて私の動きの要点を教える能力が劣っていて、
粘り強く、、、根気良く、、、前向きに、、、あきらめずに。
そして何より満面の笑顔で教える私が楽しんで教え続けていたらよかったと思っています。

体が合理的に使えだしたときの入り口までたどり着かなければ、よさは、わからないもの。
合理的に体が操作できて脈管系を筋肉の異常な肥大で圧迫するような不都合が減りだすと、
俄然やる気がでてくるのです。

半信半疑だった自分を、そこまでナビゲートをしてくれた先は、
自然にぽっかりと空いた落っこちやすい穴をみつけたかのよう。
その穴をせっせと埋めるよう自分で動き出しはじめるものです。

 

これを私が母にしてあげるのを、あきらめていたということが、
一番の心の凝りでした。
もし母に動きの指導が的確に通っていたら、、、、
カラオケサークルで定期公演を大舞台でするのですが、
そこでヒロインにだってなれていたはずでしょう。
その気分を味わわせてあげたかったですね。
ほんとうに、そう思います。

 

フレームが曲がってキィーキィーいった自転車や、ガァガァガァッと直進するにも怪奇な音を出す自動車の映像は、
母の死後も見ていたのですが、昨日見た映像が、あまりにもリアルに自分がその像に飛び込んで体験しているほどでした。

他にも様々な気になるビジョンがありましたが、
これがやはり一番、こころに残ります。

 

 


最後に、墓前で母に報告をひとつしました。

 

母の介護が終わってからも、新たな課題をもって施術の研究を続けてきた。
それもまったくもってどうやって今後の自分の施術をなしていけばいいのかを見失った状態でした。


「以前のままでもいいんじゃないか」と、おっしゃっていただいた同業者の友達もいました。
やさしい一言で、感謝です。
ただ、どうしても、それは私にはできなくて、いろいろともがき続けていたものです。
「以前のままの施術では、母へ施術をして駄目だったじゃないか」と感じてしまう。
事実、そうだったんですが。

どうにか、一歩でも二歩でも微妙な歩みであったとしても、
以前の自分の施術に変化以上の改革を求めていたときです。

 

母の介護中から奥歯が詰め物になっていたものが、ひとつずつ砕けていきました。
左右の奥歯が介護をさせていただいていたときから、ひとつ、ふたつと調子を崩して、割れていきます。
そしてそれが介護が終わった後も続きました。
2か月前から徐々に奥歯の食いしばりの緊張が最近弱まってきましたが、
ですが、まだ本調子とはいえない状態であった。


肉体的な緊張よりも心理的な緊張のほうが、
一日中持続して歯の食いしばりをほどけずに
奥歯をむしばんでいくといわれますが、その通りですね。

私も情けないことに、メンタル面がそれほど強いわけではありませんでしたから。


お客様にも、歯医者で奥歯を強く緊張気味に噛み続けているからと指摘されている方がおられましたが、
その心の状況が私にもリアルに分かった状態でした。
本当に大変な苦痛を感じながら、歯を食いしばっていたんですね。。。。
あのお客様と、このお客様と、、、思い起こすだけで16名はいますから。
私がそのなかに仲間入りをしたわけです。

 

歯が砕けるのもつらいですが、
そういった心身の疲労し続けて逃れられない不安があるからなので、
そちらがおおもとのつらさですから。

だから私には緊張の糸がとけることがなければいくら歯医者さんに行ったとしてもマウスピースを作るか、
それを作ってもまたそれを噛み砕く対蹠的なものと考えて、歯医者さんにはいきませんでした。

今思えば、馬鹿な判断です。

 

でも中医学の勉強とホットストーンの利用により施術のベースを作って発展させるというところで、
次期の施術開始を決めさせていただけたので。
精神的な緊張もやわらぎ、一昨日前から歯医者さんに通いだしました。 m__m


さすがに、もうそろそろ、心身の緊張抜きで動かないとまずい様子へ。
私自身も、これ以上進んだらと恐怖を感じてましてほっとしています。