最近思い出した、忘れかけていた大切なこと

個人的な、3日前に思い出したことを書かせていただきます。 m__m


未来の私自身への記録のようなものですので、
読み飛ばしていただいてOKな感じの内容です。 m__m

 

 

私にとって未知な経験の一切ないジャンルのホットストーン利用の施術。
それがはたして私の施術として成立できるようなものになるのだろうか?

結局は私らしい、やり方で、それって通常のホットストーンセラピー?
と疑問符がつく感じに仕上がってきましたが、
新たな施術の仕方の仕組みづくりの型が見えてきました。

お客様の中には、その裏付けといえるような報告をメールしてくれる方もいて、
施術技術の指針をどこへ向ければよいか。
そしてさらに磨きをかけるための方向を、
どちらへと向けていくか。
そのような関心を抱かせていただけたことを含め、
貴重な参考にさせていただいております。

(深く感謝いたします!!)


施術が整いつつあることは、喜ばしいことです。
これが整わなければ、いくら施術を再開しても、
お客様がきていただけないこととなりますから。

ここは一切手を抜かず、
細かく気を配りながら、
施術全体像を高い位置に立って眺めることです。

いま私が立つ位置が決して高いものではなくて、
ベン石温熱器等の特性把握や応用などにおいて十分な力を発揮できていない。
そのため研究を深める具体的なアイデアを出して試行錯誤をしています。

 

 

ですが、それ以外に大切なものを忘れつつあるような気がして。
そこからくる「忘れるな!」という声が聞こえてしかたありませんでした。

忘れかけたものを、ようやく3日前、思い出しました。

 

 

中医学診断について、
私が今年の中盤にひとりで部屋にこもりっきり学び続けてた動機とは?


それはできれば自分が中医学診断の概要を把握できれば、
その後のお客様の施術に役立つという考えもあります。
そして他にも中医学診断の勉強をがんばろうと思った理由があります。

 

私が母の介護の末期。
私が脈診講座を受講させていただくこととなる鍼灸師の先生に、
すでに歩けなくなった母を車いすに乗せて、初めて診ていただいたとき。

そのときは私の施術では、まさに慰安対処にしかならずにいました。
私自身が正確に母の体の状態を把握することができないのです。
それは状態の画像も病院からいただいて、
食い入るようにみて母の体と突き合わせてアプローチの仕方を工夫もしましたが、
それで対処できるものではないことも、経験上わかっていました。
85歳の高齢で体力はあったものの、消化吸収ができなくなって、
体が日に日に痩せおとろえていくのです。
それで私の施術を捨てて別なものを取り組みました。
民間療法のうこんをもちいたり、アーユルヴェーダ系のハーブをもちいたり。
または里芋パスタを。
そして日々、待乳山聖典のお経だったり、エネルギーワークだったり。

私は、日頃は霊感の感度を意図的に下げているのです。
ですがそのときはすべて開け放つままで、
日々、不思議なることも起きていました。
人の命にかかわるような大切なときには、
神々が動くときなのでしょうか。
そのような思いがしたものです。


それでも母の速い病状進行には、対処もおぼつきません。。。
そこで祈るような気持ちで私の施術のこころの師匠からの勧めから、
近所の鍼灸院に連絡をし母を車いすに乗せて駆け付けたわけでした。

 


そのときに鍼灸の先生は、母の舌と脈を診て中医学診断でわかった内容を、
パソコンのカルテに書き込まれていました。
私は、中医学の証について詳しくはなかったため、
書かれた証を書き写して家で調べるようにしましたが、
そこからどのようなことを私がすればいいかもわからず。

筋膜リリースでは触れることのなかった中医学の専門的な概念を突きつけられた。
戸惑いを感じていました。
母の病状を把握できるどころか、
中医学の診断がわからず得体のしれない気味の悪さが私の中で想像されていました。

その不安感から、鍼灸師の先生に任せるしかないという、
私が「母の体を診る」ことをあきらめたときがありました。

そして、そのとき。
正直にいえば、ほっとして肩の荷が初めて下りて、
その日は母の介護をしてから4カ月たちましたが。
初めて夜に寝ることができました。


ただ私には、
そのときに中医学の専門知識を持っていなかった自分。
いくら鍼灸師の先生に母の状態を説明してもらっても、
かえってくる言葉が中医学の専門用語が混じります。
するとそこで文脈が途絶えて理解ができませんから。

母が治るかどうか。
それは先生は先に、
治せるものではないとおっしゃっておられました。
私も、そうなのだろうとわかっていたものの。
その先生に治療をお願いすることが、
母も気持ち的に救いとなっていましたので。
お世話になりたいと思っていたのです。

ただ私の内側では、
鍼灸師の先生が得た母の状態を把握した情報が、
私にはまったくわからず悔しくて不甲斐なくて。。。
そのままではいられない気持ちになっていました。

母の他界後に、ひとりで中医学診断の本を読み漁りだしたのです。
母には役立てることができなかったことを、
母に詫びながらです。


正直にいえば、中医学自体も中医学の診断方法も、
独学で身に着けていくには難しいものでした。
本を読むにも、基礎がわからなければ話が通じないし、
理論も必要だが実践の場がなければ身につかないもの。
3か月間、ひたすらそんな中医学診断でわからなくて、
「いったい自分はなにをしているんだろう」と不安に。
そのような日々を過ごしていたのです。

 

ただそれでも。

最初は地べたを這うほどの低位置から、
中医学診断の内容の基礎を丸暗記した感じでしたが、
しばらくしてお客様の施術をさせていただくころは、
地を這う状態から膝下くらいの高さから見通す感じ。

そうやってわずかながらわかってくると、
鍼灸師の先生が母の体の証をどう読んだかを、
おぼろげながら感触をつかめるようになりました。


そのときに鍼灸師の先生に母の治療をお願いしたときを思い出しました。
私も母の死を受け止めようと考えていたときだったが、
あまりに鍼灸師の先生が使う言葉がわからなさすぎて、
その先生の病状を判断した証を情報として受け取らず、
無知ゆえの不安感から恐怖心が増幅して。
とりあえず脾臓の部位へのケアが大事だという。
そのような示唆をいただいて動きはしたものの、
そのときははじめて他の施術者のことばを聞き、
いつも母の体の全体像を診てバランスを調整していたものが、
脾臓ばかりが気になって。
その情報を自分のリリース法のヒントとして加える昇華へとつなげられませんでした。
私の頭で施術の手に迷いが起きてしまい、
それで手を出してしまえば、
治る者も治せません。
それどころか、
施術とはいえない、体を破壊するだけの行為になりかねない。
特にこれほど重篤な状態に陥っているときには、
術者の迷いは100%、悪いほうへと振れます。


母の最期のときの寸前まで。
そのようなことを頭の中でぐるぐると思い悩み続けたのです。
想像以上に、施術者であることがじわじわとつらかったです。

 

そして、いまは鍼灸師の先生の脈診講座も受講して、
そのときの先生がなにを見たかを感じられるようになった。
そして中医学の基礎の本を読み、
舌診や問診を自学自習してきた。

中医学の診断力は、
まだまだというのが正直なところですが、
実際にお客様を目の前にして中医学診断の目で施術をすることになりました。

 


その後、脈診講座の修了を機に、
ベン石の温熱器を使った施術の実務に時間を割く決意をしました。

中医学の本を読むには、かなりの時間が必要です。
同時に診断法を学んだだけでは施術をして改善をうながす直接的な手技が得られるものではない。
当たり前のことですが、中医学診断が巧みになっただけでは判断はできて伝えられたとしても、
そこから先、手も足も出せないということで。
かつての施術法を封印したため、
そこにすっぽりとはまり込んだ自分の次の一手が手元には用意されていないことに気づきました。

施術研究は至上命題で、
中医学診断の勉強をして現状がわかったとしても、
たとえ健康を損ねたとわかってもそれに対応した手立てをそろえていて意味が出るもの。
中医学診断をしたのちに対応できる技術を自分なりに身に備えるのは必須です。


そうなると時期的にも、その次の一手を確保するための探索をする必要があります。
ホットストーンの施術の研究をする時点では、
それが施術提供して役立てられるレベルに仕上がるかどうかもわかりません。
ゼロの知識から勝算もゼロで、直感だけで取り組んでみたわけで。

中医学の学習を混ぜて行うスケジュール管理ができそうもなくて。

おかげさまですばらしい道具に恵まれ、
ホットストーンの施術がどんどん面白くなってきたときが、今。


するとわずか3~5カ月前に中医学診断のことを、まったくよそにしてしまう感じで。
ホットストーンの施術研究に没頭し続けていました。。。

 


ただ、私は中医学診断の本を苦痛を感じつつ開いてきた理由は、
私が施術再開のときにお客様を診るためだけではなかったことを思いだしました。

中医学診断がもっと多くの人に自信をもって自分の健康状態を図る道具としてもちいられる世の中ならば、 
 私が母を鍼灸師の先生のところに連れて行ったときに感じたようなことも、なかっただろうな・・・。
 
 それに母の病状が末期まで進む前に見つけ出せたに違いない。
 そうすることのできる技術や知識があったにもかかわらず、
 そうするための縁が薄かったことに、切なさを感じる」

中医学診断のスキルを、すべての日本の人々が持っていればいいのに!」


素人っぽい考えでしかありません。


中医学診断のスキルの基礎を、
誰もが身に着けられる縁を持てる日本であってほしかったのです。
そのようなことを懸命に念じて、
そのための第一歩を踏み出す努力をささげるために。
私は母がいなくなった孤独な部屋で、
本を手書きで書き写し続けていました。

そのときの私の体調は心身ともにいまだかつてなかった厳しい状態です。
それを支えて行動をし続けられたのは、


中医学診断のスキルを、すべての日本の人々が持つような社会でいてほしい」という気持ちでした。

無謀でしょ? 

中医学の勉強を、私が母を送る前にやりなさいと誰かに言われたとしたら、
日々が忙しすぎて、体力的にも厳しいものですし、学ぶための教材もわからない。
そのような状況ですから私自身も「いや、いや。ちょっと、それは無理だなぁ」となっていただろう。


中医学の慣れない本格的な勉強をして、
楽しさを覚えるまでの道のはかな距離があります。
たとえ中医学を学ぶための縁を得って学び始めても、
途中であきらめて辞める人がほとんどだと思います。


中医学は様々な治療技術の寄せ集まったいいとこどりの体系です。
学ばなければならないテリトリーが、本当に広がりすぎていて、全体像の把握さえも難しい。
それに脈診や腹診等、直伝でなければ、身に付くものではない技術分野もある。

本職の先生方でも、一人の患者様を診断したとき、
先生ごとにそれぞれだした証が異なることが多く起こるものだそうです。
それだけ奥深き難解なものでもあるのでしょう。


ですが私が中医学の本を学び始めたころは
誰もが自分の健康管理を可能とする範囲内の中医学診断の力を身に着けて、
互いに健康を気遣えるような社会へ移行することが正義と感じられました。

 


そのときの願いをころっと忘れていた自分の忘れっぽさに、驚いてます。

 


自分が中医学の診断法を学ばなくても、
頼りになる鍼灸師の先生を探し出して、
定期的に見ていただければそれで済むと思うかもしれません。


ですが個人的には、鍼灸師の先生も共通の見立てができるものには、
さらに的確な指示を与えることもできるでしょうし。
まったく中医学の知識がないような人に対しては、
患者様の体の診断をしてわかったことがたくさんあったとしても、
その内容を教えられても未消化となる人へと与えてくれるでしょうか?
決してそうすることが正直ということではないと、私も思います。
相手の理解できるところをかいつまんで話す配慮。
それも大切なことです。

ただそれは私が母を車いすに乗せて連れて行ったときの私と鍼灸師の先生の関係で、
私自身がもし中医学の基礎をわかっていて先生の話を理解できていたならばと思う。
やはり、真に役立つのは健康維持の底辺は他人任せじゃなくて自分で賄えることだ。
そのための学びをしはじめることは、大切ですし。


そして中医学の見立てでは、
評価する基準が書物にあります。
それは今までのデータを蓄積して表されているため、
驚くほど病の様子やその後のこと、そしてどのような対処をすべきかを述べています。

ただ私には、個人の必要なところとしては、
まずは内科的な症状が出たての未病のうちにあらわれる異変を察知できることが目的で、
病が進行する前の早々にわかって鍼灸院や漢方薬局に訪れればいいでしょう。

 

多くの鍼灸師の先生など中医学を修めた先生方が、
良書を多数世に送り出していただいております。
すばらしい仕事をなさっておられ感謝いたします。

あとはできれば大学等の公開講座や特別講座なども広く開講していただいて、
一般の方々が学ぶための機会を多く提供していただけるようになっていけば。
中医学診断などは直伝で手取り教えていただかなければ習得できない技術も多数ありますし、
だれもが鍼灸師になるための学校に通えるものではないので。。。

 

ただ一般の方のためにわかりやすいところまで目線をおろして教えていただけなければ、
せっかくの中医学の診断とのご縁も、そこまでで切れてしまうはずです。
これは一つの技術を極めた先生には、難しいことだと思います。

そのことをよく理解した先生と出会い、
いざという前の余裕があるときに学ぶことができればという願いを夢見て中医学診断の勉強をしてたんです。


純粋に、みなさまの未来が、未病で手を打てて病で苦しんでいかないように!!
そのような祈りにも似た気持ちでした。


来年早々にでも脈診講座を受講させていただいた先生に、
中医学関係の業界では今後、そのような広く一般向けの講義をなさる取り組みがあるのかどうか、
聞いてみようと思います。