筋膜の癒着をしただけで、カラダのなかのトータル機能は改善してくれるの? 「それは、NO!です」

今日は東京では気温が暖かいですね。
自室は28度。

 

少しずつ外出自粛の雰囲気が減少してきて、
私の自宅から見える桜並木を歩く人たちが、
増えてきております。

一時期は、天気のいい日にもかかわらず、
ほとんど人の気配がなかったときからすると、
東京での感染者が連日減少傾向にある今では、
ほっとした気持ちで散歩をして体力をつけようというときに入ってきたのでしょう。

 

店の場所を借りて営業中の施術院の友達には、
このまま人出が少なければ固定費で破産するから、
いったん廃業することにして、
世の中が落ち着いたときに再開しようと考えているといっていました。

政府からの救済援助もあるといいますが、
店を閉めて申請書を出しにいくにも、
まったくのはじめてのことでどうすればいいか手続きに不安な気持ちが大きくて、
利用したくても難しそうでハードルが高いのではと二の足を踏むといいます。

ですが今の流れのまま日本での日々の感染者数が減少すれば、
外出自粛規制が解かれるでしょう。
そうなれば廃業してのれんを降ろさずに済むようです。

 


ここ数日の間、
臨時施術受付の施術が続いています。

ゴールデンウイークとさらに多くのお仕事をする方々が休業をなさることで、
休みの日に施術を受けようと足を運んでいただけたものであったのでしょう。

私といたしましては、施術をさせていただきこころより感謝いたしております。

明日が、そのラストの日となり、当分はまた静かな施術研究と自己探索の日が続くでしょう。


ここのところの8名様のお客様の施術をさせていただくことで、
地道にホットストーンを使った施術で考えていた新たな賢くなったやり方を提供させていただいております。

実地で施術を誰か私の知り合いの施術者等に施術を試させていただくことで、
施術のやり方のポイントの抽出をしたり、流れを作り出していくという過程を通せていませんから、
施術時間がかなり長時間になってしまっております。

臨時施術受付での今、施術のお時間がだいぶ長くなっております。
その分、お客様の全身の体をポイントに絞り切らず、非常に繊細かつ全体的に見させていただいております。
または動き方の指導に時間をかけられています。
私のほうで本営業がはじまりましたら、
予約時間の設定を守るように心がけていかなければと考えています。
だから、いまが、一回の施術でここまでいろいろ見させていただけるという好機なのかもしれません。

 


ただおこなわせていただいた施術のなかでは、私自身が考え込んで眠ることができなくなったこともあります。
去年の私が自身のすい臓がん末期の母の施術をしていたことを思い出し、
施術の難しさ、そして自分の未熟さに悔しさを感じたこともあります。

 

 


私のホットストーンを使った施術にて、
一昨年前よりも大幅に深まった筋膜の癒着リリースの影響で、
私がお客様のカラダのなかを知る【探索力】が自然に増したことに気づきます。

お客様の皮膚から骨に至る間にある筋肉の多層化した部分の、
より深いところがリアルにみえだしたときに、
とれる施術のアプローチや助言などが先に進み変わっていくようです。

 


では、筋膜が癒着した部分だけを見つけだして手当てすればいいのでしょうか?

はたして、それで体が正常化すると話がすべて丸く収まるでしょうか。。。


結論から申し上げますと、私はそうとは考えていません。


その理由のひとつを述べれば。。。
たとえば、
筋膜の癒着をした裏にある盲点となった部分に気づかないと、
体の改善がおぼつかないということもあるのです。

 

以前なら見えなかったし感じられなかった体の根底にある患部が見えだすとき。
その部位を私が施術でアプローチするわけですが、
その前に患部を「ここがねらい目のトリガーポイントだ」とか、
「かなり遠位にあるがここがこの体の根底にある患部の関連部位だな」とか。


探索の末に、意図的にお客様に事前に感じられるように、
「ココ!!ここの部分に、お客様が気づかれていない盲点があるよ!」と、
声で伝えたり、手で触ってそちらにお客様の知覚を集めて意識を集中させようとします。

 


実は施術の大きな段取りはこの盲点部分を私が触れる行為なのです。

 


お客様自身が自覚的にアンバランスな状態を自ら気づいている場合。

アンバランスな姿勢や筋肉のつき方や関節の稼働や重心どりなど、
無意識のうちに自分が脳の働きをもって場当たり的なやりくりの結果から作り出したものです。

たとえばゴルファーが右利きでそちら側の片側だけを使い続けてゴルフクラブをスイングし続けたならば、
その動作をする必要性が高まっていきます。
その動作に関係する部位は使われるものの、その動作に関連しない部位は使われません。
そんなところからも「ある部分の筋腱は多く使われて発達してするものの、ある部分の筋腱は使われずに廃用性萎縮する」のです。

そのような体の状態のシンメトリーさが崩れていき、その右側ばかりでゴルフスイングをし続けたら、
「ある部分の筋腱は多く使われて発達してするものの、ある部分の筋腱は使われずに廃用性萎縮する」
というものが、
「ある部分の筋腱は過剰に使われて疲労蓄積して筋膜の癒着が進むものの、ある部分の筋腱は使われなさ過ぎてそこを使う意識をうしなう」
のです。

 


ゴルファーでも、そのようなアンバランスな片側のみを使うことで体を壊すことを知っているものは、
意図的に右利きでも左側からのスイングを同量おこなうことで、カラダのバランスが異常化するのを防ぐ賢明な努力をなさっておられます。

 


これはなにも片側のみを使いトレーニングするゴルファーにのみ言えることではありません。

人それぞれが持つ、カラダの使い方のなくて七癖。
多かれ少なかれ利き手や利き足を持っていますから、
そちらばかりを無意識に使ってからだをアンバランス化させてしまいます。

(それは私自身もその泥沼から抜け出せ切れてはいないのですが。 ^-^;
 日々、がんばって改善を求めて探求しているところです)

 

筋膜の癒着の傾向が強くなっている方の場合には、
「ココが痛いんだ!」というお客様が訴えてくる部分がありますが、
それはオーバーユースで炎症を持った部分があることの主張です。

お客様が私どもにつたえていただける「主訴」のひとつ様子ですね。


施術者としては、その主訴を耳にした時。
「ココが痛いんですね」という確認をします。

ですが言葉には直接出しませんが、
そこから先へと思考を働かせています。
「ココは痛くないだろうけど、ここが使えてない」という陰になったアンバランス状態に身を置き続けるための立役者を見つけ出し、
その部分に筋膜の癒着を解くときと同様か、それ以上の意識をもって「使われなくなった筋・腱部分」へ刺激を加えています。

筋や腱などの使いすぎた部分の裏側には、使われずに活躍する機会を失った筋・腱が隠れていて、
それら2つはセットになっているのです。


ただ私が施術の時にお客様が使わなくなった筋・腱部分に刺激を加える時は、
通常、私は黙ったまま刺激を加えるようにしていますから、そのことには気づかれないかと思います。

黙って刺激を加える意図は「ここがまったく使えてないようだよ!」といわれると、
言われてみたほうはたいていがグサッとココロに痛手を受けますから。
それを避ける目的であったり、
お客様につたえる情報が過多になりすぎないようにする配慮があります。

自己観察力が長けている人は、この部分を私が接触して刺激を与えるという指摘を受けたとき、
「確かにその部分は萎えているようだ」と察知するようです。
ただほとんどの場合、使っているところを認識するのは比較的たやすいのだが、
使っていないところを使っていないと認識するのは相当至難の業なので。
自身ではその指摘に対して同意できる認識がないもので、腑に落ちない。

お客様の筋膜の癒着に関した炎症を起こした部位をみつけて「ここ、痛みがありますよね」と私が指先で触ったときは、
「た、、、確かに!!」と知覚的に明瞭にわかりやすいものなのだが、
使われていない部分を指摘することはそう言ったものではないのです。

私自身が施術を受ける側で隠れた体のアンバランス状態を作る構成要素があるという仕組みを知らなければ、
施術中に私のカラダをチェックされて痛みがないところを接触刺激を与えられたとしても、なかなか気づきづらいものがあるでしょう。


ですが、カラダの改善が意外とややっこしいという感想を持てる理由のひとつには
そういったわかりづらいお客様が痛みや張りなどの不快を感じた筋膜の癒着を作り出した陰に、
必ず盲点となる機能発揮を忘れ去られた筋や腱などの部分がある。


そんな使われていない部分を他動的に他人に触られる等で刺激をいれられると、
一時的かまたは人によっては持続的に、
「今までその部分にフォーカスを当てていなかったな、これからはそこを気をつけよう!」
と意識的に、または無意識的にその部分に自己探索をし始めることが起こるときがあります。


このときのめったに使われなくなった部位が存在してカラダのアンバランスを作り出したという「気づき」が得られると、
体の使い方を再構成、再構築するきっかけにもなりますよね。

無自覚のままでは使うことを忘れた使えなくなった部分を見つけ出せたとき、体が活かされて変わります。
それは確実に着々と生きた動きになっていくことで、カラダの神の設計のままという正常化を推し進めてくれると知ったとき。
そのような個所の発見が価値あるもので見つけ出そうと、
自己の体に集中する動機付けを得られたことになります。

 

 

そういった意味で、先日、私がフェルデンクライス・メソッドの先生からレッスンを受けたときには、
自分が使われなくなった体の部分や機能があることに気づかせてもらえるので。
それも私が自分で自分を観察しきれない部分、それもとても重要極まりないところを言葉の指示で伝えてくれて、
目からうろこの落ちる感じです。
死んだ動きから生きた動きに変えるには、
「今までフォーカスを当てていなかった部分にも探索の目をつける」ことです。
そのチャレンジは、二度と同じところに筋膜の癒着をつけないようにするきっかけを与えてくれるでしょう。

 


私は施術の時に、お客様に接触刺激を使い、お客様のカラダの中の使われずに機能が後退した部分を手で触って圧をかけたり、
ずりっとした圧をかけてみたり、ムーブというクリっとした筋をはじくような動きを与えたり。
それにより「ここが大事だよ!」と私自身が認識して丸を付けたところを、触れるというコミュニケーションで伝えようとします。

お客様にとっては、そこは別に痛くないんだから、そんなことをしても無駄だろうと思われるかもしれません。

 

ですがこの触られたときの感触が遠く感じる違和感を持てたりなど、
正常な部位とは隔たりを受け取る感性の鋭い人がお客様の中にはおられまして。
触れるコミュニケーションによって自己の心もとない部分として現状を把握できた人は、
ここがこうあるといいだろうと想像を巡らせて無理なく体の感覚、カラダの内部の目を目覚めさせるようです。

そこを十分感じ取る人がいたおかげで、まったく私のやり方がはずれではないと教えていただけるわけです。

ただそのようなお客様に接したとき、
私が自分で自分の体に刺激を受ける時に、
「このお客様ほど鋭敏にさりげない刺激から体に響く内部感覚を増幅させて変化改良を深められるだろうか?」
そのようなことを思って、負けず劣らずやっていかなければと思わせていただくこともあります。

また同時に、カラダの中にある隠れている使われない筋や腱への気づきをあたえるほうほうとして、
もうちょっと、いいやり方があればいいのだがと、つねに考えています。

 


・・・・といった理由で、

筋や腱がダメージを受けている裏側を知ると
「過剰に使われた疲労蓄積が進んだ筋膜をはがすだけですべてがうまくいくのでしょうか?」
という問いに対して、
「NO!」という答えがでてきますね。

すでに使われなさすぎるようになってしまった隠れた動きが機能しない部位を使う意識がないなら、
体全体としては死んだ動き・偏った動きを続けるしかないため
筋膜の癒着が解かれただけでは時期に壊れたフレームや機関を持つ自動車が走りつづけられないと同様の結果が、
人体にあらわれてくるのです。