自然界が用意してくれているパワフルな生命力を高める「もの」を見いだせていますか?

ちょっと突飛な話かもしれませんが、
最近、【ミミズコンポスト】に関心があります。


みなさま、ご存じですか?


自宅で出る生ごみを、ミミズが生息しているボックスにいれておくと良質な堆肥に変えてくれる。
それで家庭ごみも減って、自宅のプランターで農作物を育てられる。
家庭ごみをゴミ収集車で運ばれて燃やすこともなく、環境にも優しい。


でも、、、
「えぇ~、ミミズ?!なんか気持ち悪そう」と言われそうですね。 
^^;

 

自然界でミミズは落ち葉や腐食し始めた野菜等を食べて土を作る役割を持っています。
ミミズによって作り出された土は、堆肥として高額で取引されています。

なぜかといえば、ミミズ堆肥は、植物も力強く育ち、実も糖度が高くなるのです。
通常のスーパーマーケットで買ったプチトマトが糖度が7ぐらいだったら、
ほかの肥料で自宅で作ったものが糖度が8、
それがミミズの土で育てたものは9近くという驚くほどの甘さ。
そのような映像を見て驚きました。

「糖度が違う!!」

それは理想的な土の中の窒素、リン、カリウム等の成分が多く、根を傷めない。無臭で安全性が高い。
堆肥としてのバランスがこれ以上ないといえるほど絶妙。
他の作物で使ってもすばらしい農作物がとれるそうです。

 

昔、肥料がまかれずに自然農であったとき。
ミミズが雑草等を土に変えた畑で作った作物はおいしかったことを思い出します。

 

子供の時、福島の母の実家に行って食べさせてもらった自宅横にある自家用畑から採れたてのトマトやきゅうりは、
鮮度の違いもあった。
そして味のよさもあった。
農家ではないが、スーパー等で買いに行かなくてすむように作っていました。

そのとき肥料を買ってきてまいていたわけではなく、周囲にある雑草を刈ってそこらにおいて風よけをし、
自然にその雑草が腐りだしたところにミミズが集まって食べて堆肥に変えていく。
それだけで、おいしかった。
実はそれはミミズたちのおかげだったんですね。

 

ミミズの堆肥は、今現在でも最高級の堆肥として売られているほど高価です。
作る手間や時間など大変にかかりますが、それに見合った値で取引されるほどの魅力的な力強い土だからです。
人間の手で作った肥料もよく考えられてはいます。
そしてそういった人が作った人工物を畑に持ち込んだほうが手間がかからないし安価で手に入りやすいのです。

ですが自然界の、ずっとその土地をリサイクルし続けて、
持続的な生命が生き続けられる場所をつくる仕組みに根差した魅力には長けたところがありそうです。

 

そのような自然界にあった常識が忘れ去られて、
いまの人工的な肥料をまくという常識が普通に感じられるとき。
なにか大切な自然界からのプレゼントに気づく目をなくして、
それをみすみす受け取れなくなってしまったように感じました。


そのような見方の象徴を【ミミズコンポスト】から見いだせて、
ミミズのおかげで堆肥をつくるということに魅力を感じます。

 

 

人間にも人工的な人の力がおよぶことで身を立てる者たちと、
自然界の恩恵である自然界の準備してくれたものを見つけ出せて身を立てる者たち。


私は仕事の関係上と趣味もあって、
体の使い方を学ぶための本を、山のように読み込む、そして自主練をする、工夫しています。

そのようにしているときに、
自然界では生きるための準備を私に取り付けてくれたはずの力があったはずが、
それがいささかも働いてくれはしないのかという不思議さを感じてしまう。

新たな知恵を学び成長できる充実感はあるが、
自らの体の奥からの声が聞こえてこないままでいいのかという虚無感もあらわれてきます。
自らの内側は、先祖伝来の身体についての知恵を持っている。
自然界に沿って生きて、生き抜いた先輩たちの知恵が大量に私の遺伝子には書き込まれている。
はず、、、なのに、そこからの声が発せられないままでいる。


だから自然界の観察眼を磨きをかけていく末に、
外界の自然を見る目をいずれ、自分の身にも向けることができるようになるのかもしれません。
そのような期待感を持って、人工的な肥料もいいが自然界の仕組みにのっとったミミズが堆肥を作る姿を見る必要があると思えています。

 

自然界はミミズが堆肥をつくるという仕組みを作り出しており、
同様に人にも自身の体を他の施術者から配られる肥料ではなく、
自然界からさらなる生命力を輝かせるものが用意されているのでしょう。

そこに気づいていなければ、
いつまでたっても足元が不安で、心の不安定さにつながるはずです。

自然界が用意している野太い語り掛けの声を聴き、『それ』を取りに行くよう動いたなら。
いまの、私の体の使い方の勉強、それだけではなく施術の研究の様子は大きく様変わりをするでしょう。

そして今以上にしあわせを感じられるような仕事を作り出せるかもしれません。

 

私たちは医者や施術家や運動指導するものなどの接する機会のことで、
人の手から贈られる益が受け取れるのが常識化してきていて、
自然界が用意してくれている私たちの体の内部にある力が発動しづらくなっているのかもしれません。

他の動物の多くは先代がつちかった生きるための本能のプログラムが遺伝子情報レベルで受け渡されています。
その力のおかげで、
カラダを壊したらどう対処するか、
カラダの操作の効率の良い動き方をどうすべきか。
できているようです。
動き方も身のこなしがよくできるような操作法を知っている。
ゼロから組み上げるわけではなくて、
すでに組み込まれたかなりの完成度の高い操作プログラムが発動して動けています。

人間は生まれたての時は白紙だといわれます。
ですが実際は様々な本能的な操作を体が体得しているわけで、
その力を発現できている3歳児未満の動き方を観察することで、
様々な動き方のボディワークを研究している人たちは研究を深めています。

 

 

私は、ひとり考えるのですが、
私たちは動き方や体の再生の仕方など、他の野生動物がするようなレベルかそれ以上の英知を持っていて不思議はない。
ただそこへの目のつけ方を忘れ去ってしまい、自然界が用意してくれている。

その自然の道理をよく観察して理解し、一度はそれに沿って生きてみる。
人の手が加えられて自然を制御したあとのものから離れた元の自然をうまく価値をみいだしてみる。
元気な輝きレベルがさらに高くなり、生きごこちが増える、、、かもしれません。

 

 

ちなみに私が先年から勉強している中医学も【自然界の道理】を観察しています。
その観察でわかった抽出物を人体に当てはめて体系化しています。
自然界と人体との境界を隔てずに相関させたら、見えるものが出てきます。

自然界内にいる人体とみたとき現れる像は。
デラックスでしっくりカチッと来る見立になって、
目から鱗がごっそり落ちる気持ちよさがあります。