体が緩んで整っていくと、気のめぐりが良くなってインスピレーションがわいてきやすくなるものです

ストラクチャー(構造体)と気のめぐり

今日、施術中にお客様と話をしていて。

お客様: 体が緩んで整っていくと、気のめぐりが良くなってインスピレーションがわいてきやすくなると
     人体の構造を再構築させるための施術の本に書いてありましたね!

私  : 確かに、そのような気がします!

 

筋肉の凝りが深部に及ぶと動脈を圧迫して血行を鈍化停滞させます。
それでは物質的な血液が減りますから。
圧迫された血管部位の心臓から遠位に当たるところでは酸素を運ぶ赤血球も運ばれる量が減ります。

そうなると感受性をつかさどる神経系にとって、機能発揮に対して大幅なマイナス。

たとえば神経がごっそり集まった大脳は数分も血液を送り届けられねば機能が低下するどころか、さらに大変なことになってしまう。

それと同様に普段から血行が阻害されて血が運ばれる量が正常値より下がっている部位の神経も、
その神経自体がエネルギー不足で現状は働きが低下するというネガティブな反応がおきてしまう。
血行阻害が長期にわたれば、さらに状況は深刻になります。
血行が阻害されて効きの悪くなった神経は、その神経に対して刺激量が減じられてしか感じられなくなる。
それにその神経自体にも血流が減少しているため理想的な神経系の組織の状態が維持できなくなる。
やがて神経枝の長さが徐々に短く退行していくことになります。

体の中では主要な動脈管がいくつか圧迫されて長期にわたった形跡があれば、
そのような現象が血行阻害からのマイナスな影響から現れているのです。
ですが体内的な観察を日頃からつぶさに見つめ続けるヨガの行者でもないかぎり、
自身の外的情報を得るためのセンサーである感覚器官の働きの良し悪しは感じることはないでしょう。

 

ですが私の個人的な体験で一般性は少ないかもしれませんが、
少しずつコアの部分の筋肉をどのように使えばいいかを考え、
誤解部分もだいぶあったものの理解に努めていたころ。


やはり徐々に自身の内側を流れる「気」と呼べるような物質的な力というより、
電気的なもののイメージのほうがマッチするようなものの存在に気づくようになりました。

すると以前よりもひとつ、人の身体の状態を察知することを可能としてくれるツールを持てたことになります。

自分の内側で流れる「気」というものを感じられだすと、その流れの状態を基準化して、
お客様の体内で流れる「気」と比較してチェックすることができる感じがつかめてきます。

お客様の施術をしていている最中に、私がお客様の患部をウエア越しに触っていて、
「ここ!!」という、米粒大ほどの大きさもない気の流れの詰まっている部分を見つけだせているときがあります。

それはお客様の状態と私の内側の状態の気の流れをシンクロさせるという見方をすると、
単純にお客様から発せられる患部の温度・皮膚の起伏凹凸・乾燥や湿り気などの湿度・電気的なチリチリ感などを
指先で見つけ出すよりも、より奥の部分に分け入って状態を感じられることがあることに気づいた。

この見方は、処々の条件や疲労度合いが強すぎもするため、
よほどのことでないかぎりしないのですが。
いざというときの引き出しにしまっている有効な情報を教えていただくための視方のひとつです。

このようなことは、施術をはじめた当初の体の内部的な気に循環する経路があって、
その経路は外部からのエネルギーをえることで気の巡行を促進するというイメージが定着するまではまったくピンときませんでした。

 

実際のところ深層筋と呼ばれる骨を支え続けるパワフルな筋肉群を、それを動作にも活用しようとすると、
その深層筋部分に動脈管が通っているんだという実感をえられるようになってきます。

深層筋が収縮伸長を繰り返すことで、そこにある動脈の管が第二の心臓のように変わります。

私たちは心臓はひとつだけしかありませんが、体の毛細血管上の末端まで血を届けるとき、
この第二の心臓のマッスルポンプがなければ、16個の心臓がなければならないといいます。


表層筋をいくらガンガンに使ってみても、
そこには主要動脈が走ってないのでマッスルポンプ効果があまりきたいできない。
それでは動いて疲れても代謝がいまいち盛り上がりに欠けるということが起きる。

それが、、、。
深層筋を多少効率よく使えるようになると。
ここに主要な動脈管が真横を走行していてマッスルポンプ効果が期待できます。
酸素という電気的な気体エネルギーを秘めた赤血球が効率よく体内をめぐりだします。
酸素を得た神経は活発に機能し体の内外から獲得した情報を脳に送るようになりますし、
同時に感度の良くなった神経はさらに分化して伸びるよう成長していきます。


それは体の手足や胴体等の各部にも起こることですし、
脳内にも同様なことも起こるようです。

それゆえに体が緩んでくることで、今まで主要な動脈を圧迫して血流を阻害した要因が消えることで神経系は活性化していきます。
それにより触覚等のセンサー反応が的確かつ繊細化が進められるということになるのです。

私のときは「今まで、こんな近くの目の前にあったものが見えていなかったんだ!」とか、
目が点になるような視覚上の認識力が上がってみたり。
脳内の血流量が以前は劇的な少なさだったのが改善していったという状態変化の途中だったのでしょうが、
同じものを視て、触って、嗅いで、聞いてみて、味わってみても、まったく別物に触れるかのような感覚を覚えたことがあります。

それは。数日で変化後の仕様に慣れて、以前との変化が起きたことさえ思い出せなくなるものですが。
それであっても、エキサイティングな実感を伴った体験です。

私には、この時に感じたような
<同じものを視て、触って、嗅いで、聞いてみて、味わってみても、まったく別物に触れるかのような感覚>は、
まだ発展途上のため味わえる機会は多く残されています。
それは産みの苦しみを伴うものですから楽しみでもあり、
シビアな苦しみでもあります。


そういった意味合いでも、
< 体が緩んで整っていくと、気のめぐりが良くなってインスピレーションがわいてきやすくなる >
といえることがおきることもでてくるでしょう。

 

ただ体が緩み整えられていくこと以外にも、

人体の物理的な側面のメカニズム上のセンサー力(りょく)を向上させるという課題として、
深層筋の根の張ったこわばりをリリースすることは、二重丸がつく重要項目。
骨との親和性が深層筋部分は非常に高いため、芯の操作に力強く影響をあたえてきますし。

 

ここからは余談ですが。。。
大きな変化が体内的に起きそうなときほど、それが産まれる前は、
信じられないほどの生みの苦しみを感じるときが、ままあります。
変化向上することって、楽しみだけど、楽をさせてくれるものじゃない。


根底の概念からガラガラ音を立てて書き換わる寸前の時、そう、ぼやきたくなる。 ^-^;
気が滅入るどころのことじゃないほどの、苦労を背負うこともあります。
そうやって新たな動きや姿勢や人体の見かたの概念をよりしっくりするものへと塗り替えていきます。

ただ結果が現れて気づくのは、
今までの苦労も無駄ではなく、
新たな概念に気づきそれを受け止めるための必要な過程を過ごしてきたことに気づきます。


身体操作系のボディワークの先生方や実践をなさっておられる方々は、
そのような体験を乗り越えてきておられるのではないでしょうか。

ただ、その喉から出る寸前の答えがポンと出て来てくれたとき。
のどのつかえが一気に消え去る快感と、
自分の心身のステージがひとつ駆け上がれた喜びが味わえます。