ベン石温熱器と排酸棒と真鍮製スティックの連携に至った発端は・・・過去、鍼灸の先生にいわれたことが、胸に残っていたから

ベン石温熱器と排酸棒と真鍮製スティックの連携に至った発端は、、、話すと長くなりますから、
お時間がない方はスルーなさってください。 m__m;;




ベン石温熱器
ベン石」は、民間から医療機関まで、
多くの中国人に愛用されているマッサージツールです。


筋肉のコンディションを、実証と虚証のふたつに分類すると。
炎症を起こした熱を持つ「実証」、硬結として硬化が進んだ冷えた患部となる「虚証」。。。となります。

ベン石の特徴は特殊な微量元素等組成成分を含む素材であることにより、その「実証・虚証」ともに、すぐれた対処性を持ちます。
黄帝内経という古典といわれる中医学書のなかでも、とりわけ重視されている書中に端的にベン石のよさを記してあります。
現代では中国の研究機関によりベン石を詳細な成分を究明して、利用の有効性をデータで証明しています。



ベン石には、石を温めて患部に当て患部の血行を改善させて毒素を排泄させる重要な機能を発揮します。


古来にベン石を含む砕石地でベン石が取れなくなってベン石の伝統が廃れたのですが、
そのときに温められたベン石のかわりにもぐさを使ったお灸を代用としてもちいたといわれています。

それがベン石が「お灸の原型」といわれ、ベン石を加熱したときの筋硬化等を緩める力が目覚ましい。
電力でベン石を加熱して、お灸の原型効果を簡単にかなえてくれるのが【 ベン石温熱器 】です。


ただベン石温熱器のヘッド部分では、ミリ単位のピンポイント、つまり点的に刺激を加えるというのが苦手。
それはベン石のヘッドサイズが2センチ~8センチほどと、面的に患部への接触となる関係に寄ります。


精密な極小単位の患部のピンポイントを狙い撃つことができず、
接触面が大きいため刺激がぼけてしまうというネックを補う必要があります。


そこで私の自作した「真鍮製のスティック」と「排酸棒」をもちいています。

真鍮製スティック」は、それほど強く圧することがなくても、電気的な気といえるような作用が神経につたわるため、
興奮して硬直が止まなくなった患部を神経的にリセットが進む。
それはそれをもつ使い手の力量により、効果が段違いとなる面白いものです。
まさにミリ単位の半部ほどの定点的に気を欠けた気を与え通せる場を見つけていく。
そのような感覚や触覚がなければ、
ほぼこのスティックは単に工具です。
強い気が出せる施術者であるかどうかも、それを活かせる要素になります。
不思議な成果を醸し出すものです。

こちらを使ってピンポイントにフックされたトリガーポイント内の硬結部分を外していきます。
かなりテクニカルな知識や経験が求められるでしょう。



それに対して「排酸棒」。
こちらは、線を引くようなラインを描く感じで、広く患部を含む部位を擦ることで成果が出せる。
「真鍮製スティック」では、ミリ単位の患部のフックポイントをとらえることで、
さっきまであった硬結を含むその部位の関連筋までもが「さっ」と失せるように柔軟化する。
反面、ミリ単位の見極めができなければ、まったく効き目は発揮できない。
だから私はこの点を取るときに、多くは目をつぶって眼球を上に向けて神経を集中し、
患部内部の状態を感知するため膨大なエネルギーを消費します。

排酸棒」でももちろん患部の状態を正確に把握できたほうが成果がでるのは理想的です。
ですが「排酸棒」は、そのピンポイントを含む周囲を的確に線を引くよう直線を描く。
そうすることで「真鍮製スティック」当たらなければならないようなピンポイントのフックポイントがみつけられない方でも、
患部の周囲を広くアプローチエリアとしてとらえ、
同時に数ミリから数センチ皮膚表面から奥に刺激を潜らせるのが容易にできるため、
効率的に刺激を加えるのが得意です。

排酸棒」の先端部の磁界の影響で興奮した患部の神経が抑えられ、
タダの磁気のないスチールよりも心なしか痛さが軽減して感じられるのもありがたい。




つまり、「ベン石温熱器」で、
「実証として最近に固まった炎症を発する筋肉」や「虚証として蓄積し続けた硬化し冷えたしこり化した筋肉」を、
まずは大胆にリセットをすることを先行させる。
そうして大きく問題となる部位の下地を緩めアウトラインを引いていく。

それから靭帯が硬化しているところには「真鍮製スティック」の円のムーブでリリースを図り、
広範囲にわたるしこりや問題があるところを線的に「排酸棒」の線のムーブでリリースを図る。


そのようにすることで、当社比で、数年前では解くという概念がなかった部分があからさまに解ける範疇化していった。

ただ「ベン石温熱器」「真鍮製スティック」「排酸棒」と、3つの道具を使い分け、丁寧な仕事で解いていくには、
私が当初、想定していた以上の時間と労力、そして集中力がかかることになります。

そこをマネージメントしていくことができるよう考えていこうと思っています。






あと、ここからは蛇足です。

先日、同業者の整体の先生から「鈴木さんは、なんだかいつも、へんてきなことを考えだしてるようだけど、どういう思考をしてるの?」

といわれてしまった。

自分らしさやありたい自分の姿を描くことで、何らかの発見を繰り返していると、、、いえればいいのですが。
そうでもないのです。

昨日の自分が絶対にやらない新しいことを意図的にやる、
または既にある技術でも組み合わせたり切り口を編集し最適化させるような深堀をする。

そんな方式で「アイデアを一日に必ず3つかそれ以上アウトプットし続ける」だけです。
たったそれだけです。
それを20年間続けています。

そういったアイデアは稚拙なものでもよいしそういったものが多いのですが、
かならず試行で結果を見て検証して終える。
それがルールです。
使えるかどうかは「勝手な想像上の思い込み」で批判却下するのは駄目です。
それこそ時間と労力をどぶに捨てたといえるほど、益のないことになります。

イデアは試行され過半数が企画倒れ化して誰の日の目もみることはありません。
私のマインドの引き出しにきっちりとしまわれます。

ただそういう小さな経験値を得て自力の足で登ると、
他の先生と自分を比較してダメ出しして肩を落としモチベーションを陰らせる必要が消えます。
たった一人のライバルは昨日の自分。
過去の自分と競って勝利し続けたら成長が起きる。

そのための自己に課した枷が「アイデアを一日に必ず3つかそれ以上アウトプットし続ける」です。
10日で、それで30のアイデア出しができるし、
100日で、300の異なったアイデアがでる。
または有望なアイデアは深堀し続けて一般的な解釈以外の意味を見いだせたものが手元に残ります。


施術の場では、自分で施術の意図や仕組み、そしてもちいる背景を熟知しているため、
どこかの施術書に書かれていない新たなやり方も10年前から用いているかのように動き出します。
ただ、、、研究試行錯誤をなしているときに自分に施すときは、
かなり多くの自爆が続くこともあり、
どこに地雷が埋まっているか身をもってわかっています。

そのうえでお客様に「この部分は〇〇のような、ちょっと痛みがでやすいから、ごめんなさいね」というのも、
それは、さんざん、自分がその痛みを体験したからわかります。

この部分は患部としてドクロマークが施術やマッサージのテキストに書かれているが、
それって絶対忌避か、ある程度の忌避か、とりあえず忌避したほうがいい程度か。。。
そういうのも自分の身体で試します。

「絶対さわるなポイント」は、ときとして効果的な治療点です。
ならば施術教科書などテキストや先生方に止めろといわれても、
やっていいリミットのすれすれを感触としてつかむ努力はすべきというのも、
一日のアイデア出しのノルマのひとつとなります。


たとえば首筋です。
以前は手技で手をもちいたり大きなブロックをもちいたリリースが主でしたから、
首筋へのアプローチはできませんでした。
手の指先は釣り針のようなフックになっている骨が入っており、
指で骨以上に固まった首筋の筋肉を解くことなどできなかったのです。


そこが上述させていただいた「ベン石温熱器(一部スティック状のベン石を加熱して使う)」と「真鍮製スティック」と「排酸棒」の連携により、
以前は触れなかった部分まで「たったたったった~」とリリースできるように変わりました。




話はそれますが、いま、これらのツールを有機的に組み合わせ施術に活かすことにより、
だいぶあった分厚いしこりや骨化したしこりをしっかりリリースできて「骨」がしっかり触れるようにしたいと願っています。

それは口に言うほど簡単なことではありません。





少し話がそれますが、
1年半前のことです。
私のところへ末期のがんを患っておられた男性のお客様がお見えになられていました。

末期のがんにまでなると、私にはどうできるということもも自信があるものではない。
そのため私が知っている鍼灸院のぴかいちの先生をそのお客様に勧め連れていっしょに行ったのです。

その先生は私の母が亡くなる前に3度ほど通わせていただいた方で、
私の施術の師匠が太鼓判を押す先生でもあります。


その先生は率直な物言いをなさる方で、
鍼灸により対応できる場合とそうはいかないとき。
最初に包み隠さず告げてくれます。


その先生の率直な言葉は、私にも忘れられない言葉で問われたことがあります。

「あれ、鈴木君。君は筋膜を緩めるのが仕事だったよね。でもさ、まだ硬いところあるんだけど」

私の施術においては、
基本的にカラダをシンメトリックな基礎を持ち立体状に引き連れたりゆがめられたりしない構造体にする調整をおこないます。
筋膜のテンションが異常に高まって骨格をゆがめてしまう部位を見定めて効率的にプライオリティの高い重要個所を修正しています。

すべての筋硬化がカラダからすべて消え去るのは理想と思われそうですが、
それは「過矯正」と呼ばれる状態に施術を受けたものが陥るものとなります。


他者に外圧をかけられてリセットされた筋膜は自らが凝りを産む慢性化した体の性情(体癖)を手放さない限り、
急激にゆがみを戻そうとする反応を体が起こしてしまうことになるのです。
それにより起こる負の反動が「過矯正」にはつきもので、それにより新たな今までなかった脊椎の側弯や前後湾が急場拵えをされてしまう。
そのときはよくぎっくり腰などが初期で起きる場合があります。

鍼灸の先生で、「構造体として全体のバランスを筋膜をほどきつつ整えながら調整をするのが、、、」と、
そのがんのお客様が前にいるときに話すようなタイミングではなかったため、
そのままお客様を連れて帰ることとなりました。


末期のがんで改善させるために病が骨近くの裏に入りこんだ状態だから、
その骨の近くに入り込んで問題を起こす癌化した何らかのものがあるなら。
この鍼灸の先生なら連れて行ったお客様の骨近くの裏に入った病の部位を
狙い撃つこともなさってくれるのだろうかと思っていました。
(私は私で鍼灸の知識が今以上に乏しいという当時でしたから、先生に失礼なことをいたしましたm__m;;)



その鍼灸の先生にいわれて「他人に頼むようではダメだ」と肩を震わせたことがあります。



その末期がんのお客様は、ベン石温熱器を手に入れた初期のときに来てベン石温熱器を使ったリリースを受けてくれています。

ただベン石温熱器の大胆に筋膜をざっくり処理リリースができるという得意部分はあるが、患部のディテールに入ることはできない。

そのような弱い部分を補う工夫をベン石温熱器でもしましたが、
それは海岸でビーチサンダルではなくハイヒールを履いて歩く人のようなものです。
ベン石にこだわらず別の最適な靴を求めて履き替える必要があるのです。

そのときに鍼灸の先生にお願いしようと走りました。
知識と経験それに人間性のすぐれた先生だということをしってもおりましたので。。



鍼灸の先生に突っ込まれづらいレベルまで筋膜リリース上の深い修正を施し、
そのうえで過矯正で施術を台無しにしないように仕上げていくこと。
それが私に当時できておればと思うと無念です。
それからすぐに他界なされたがんのお客様に申し訳ない思いをしています。

ただそのお客様が入院しているかどうかも私にはそのお客様の情報がない状態でした。
それから入院が長引いているのかと思っていたら、そうではなく、
入院後、2日目の日中に他界なさったといいます。
ちょうどその日のころ、玄関先が「ぴんぽーん、ぴんぽーん」とチャイムが鳴り続いて、
玄関のドアをあけても誰もいない、、、けど「ぴんぽーん」と、
最後にもう一度鳴って終わったということがありました。
そのお客様のご家族と「会いに来てくれたんだね。。。」と弔問のときはなしをしたことを覚えています。



それからかなり心が折れました。

ですが「人間ってなんだろ」という理解する道をあきらめるわけにはいかず、
骨近くの深さまでまんべんなく解けるようにという施術のやり方や経験としての
最適解を求めて試行錯誤を続けました。

コロナによる施術休業中は、中医学を学びつつ、
ベン石以外の「別の靴」を探し続けていました。



それからだいぶながい月日が経ちました。



で、いまの段階では、
「ベン石温熱器(一部スティック状のベン石を加熱して使う)」と「真鍮製スティック」と「排酸棒」の連携に至りました。

一年前以前なら時間をいくらかけたとしても、まったく歯が立たなかったところがありました。
それがそれらを効果的にもちいるやり方の工夫が積まれていくにしたがって、
解けて普通だろうと私も疑えないように収まるところもでてきました。

そして深く解くことができることがわかっているが、
お客様がいつもの姿勢のままの体癖でいたら過ぎた矯正となる場合は、
「あの、、、この部分、お客様の姿勢の今後の注意があれば解いて進められますが、いかがでしょう。忌憚のないところを教えてください」
という言葉を出せるようになってきました。


そうやって骨近くの深さまで癒着リリースを進められたお客様が増えるに従い、
先日からブログで述べたように「」へのフォーカスが強まりだしたのです。
それまでも骨が大事という潮流は本を読んだり等々するにつけ目についていたが、
施術で骨を触れるというまでリリースがなせるようになったときに、
だいぶ、別のビジョンが私の触覚上の感触も伴って現れるようになってきました。
個人的に、強くそう感じています。



まだ具体的なできていないことややりたいことなど、、課題は多数あります。
焦らずに一日に3つずつ、昨日の自分がしなかった試行錯誤を続けたいと思います。



個人的な考えですが、
神様がいたら、人が順当な努力をしないで結果を得られることはないと考えています。
日々、少しでも前向きな思いから成長を積み重ねること自体が面白い人を創るでしょう。
他者と自分を比べるよりも、自己の発想や着眼から自分を知り見つめることに価値がある。


そういえるように「最低、3つアイデア出し」にこだわりつづけることで、
今後、さらに良いものへといまの技術を変化させてくれると信じています。