一年がかりで中医の本、中医内科学と中医腫瘍学を、読むことができました。 ^-^

中医学中医腫瘍学を含め、中医内科学の本を一年前に購入したものを、
いまさっき、一通り目を通せました。



中医学での内科的な治療法の本



中医学での内科的な治療法をベースにした悪性腫瘍の治療法の本


中医内科学」の理解を深められなければ「臨床家のための中医腫瘍学」は、読んでも無駄だと、知り合いの中医に明るい薬剤師にアドバイスをいただいたことがあります。
たしかに、その通りでした。



残念ですが、
中医学の基礎力が備わっていない私には、
これらの本の意味内容を深くまでは読みこなせてはいません。
一年かけて、少しずつ丁寧にみてきたものの。。。です。



中医学の基礎を学びとるにも、そのボリュウームもさることながら、
まったくの未知の概念を本で学ぶことの難しさは半端ではない。
最低でも3年はかかると脈診を習った先生は言っておられました。
その最低でもというのはまじめに日々5~6時間中医学基礎入門など名著を読み込んで、
徐々に自分の血肉とその知識を習得できるのです。

まだそんな本を読みだして一年強の私は、初学者といえます。
本を端から丁寧に読み込むため学習スピードが遅く、基礎を丁寧に習得するのは3年でも足らない。

なので残念ながら中医内科学や中医腫瘍学の本は、
応用がきかないがとにかく丸暗記に徹しました。
パソコンにテキストとして打ち込んでも記憶に残らなくて、
時間はかかるけど手書きでノートに書き写しつづけるのです。




筋膜をリリースします!というボディワーカーの私ですから、
そのような者が中医内科学は必要ないだろうと私が習った脈診の先生も思われていたようです。

脈診ならば、ときには役立てられることもあるでしょう。
ですが、方剤等を処方することができる薬剤師でもない私ですから。
まったくもって、先生のお考えの通りです。




中医内科学と中医腫瘍学の読み込みに貴重な時間の多くを割いても、
お客様がそこを私に期待しているわけではありません。

なんら資格のない私が、中途半端な知識でお客様に何かをいおうというのは、
益の大きさよりも害の大きさのほうが勝るのです。
ただし人を見立てるための基礎を学ばない理由に、
それを唱えるべきではない。

スポーツのテニスなどの球技でも、最初はうまくできないが、
有意義な練習を積むことでうまくなっていくのです。
そういった練習過程が非難されるわけではない。
情熱をもって自らを動かす努力はしたほうがいい。
私は、そう感じます。




ただ中医腫瘍学を、自身で学びたくなったきっかけがあるのです。

私事で恐縮ですが、
数日で3回忌を迎えるすい臓がんで他界した母を中医学を学ばれた鍼灸師の先生にお願いしたとき。
私には中医学で腫瘍をどのような見立てをするのか、そしてどのような対処をするのか。
そのようなことをまったくわかっていない。
とにかく、私の力不足から他の先生を頼りたい気持ちが大きい時期でした。

西洋医学でも手の施しようがないということで、がん治療については一切治療はなく、
唯一、私が施術で母の固まりだした四肢末端を緩め、代謝をよくするようなことをしていました。
そうやって、手をかけてあげることくらいしかできなかったときの思いは、
「このような難病は、ごめん、私には治すことができないんだよ。
 でも、できるだけのことは手をかけて行きたいから、付き合ってください」でした。


鍼の先生にお願いしても、病状悪化が進み過ぎて発見されるすい臓がん。
健康状態が末期のため、通えたのも3度だけでした。
それでは腕の立つ鍼の先生も、治療で改善への協力をしたくても難しい。
ただそのような際でも、つねに気持ちを穏やかにしてくれるよう、
やさしく話しかけてくれていた先生のことを思い出します。



まったく中医学で腫瘍をどうみるかがわからなかったため、
先生がパソコンに症状やその日の対処をなさった場所を記録をしている内容を横でみていても、
それが母の状態の良し悪しをどう見ていてのことなのかが、私には判断ができませんでした。
なので質問をしたかったのですが、
母がいてその質問と回答を耳にすることとなり、私が質問からネガティブな印象が語られては母には忍びない。



そのとき思ったのは、
いずれ、まとまった時間ができたとき。
 中医内科学と中医腫瘍学の本を買って、
 少しずつ自分のペースで読んでみよう。
」でした。



コロナのため休業をさせていただいた期間が、
そのまとまった中医内科学と中医腫瘍学を、
つっかえながら基礎の中医学入門の本に帰りつつ読むことを許された時間となり、読み終えることができました。

おかげさまで知らなかった内科的な知識も量が増しましたし、
ひとつ、真剣に学び身につけたい目標として誓願したものに、
一区切りをつけることができました。



惜しむらくは、母の看病中に私がすでにこの本を読んでいたなら、
私のアプローチすべきところが絞れていたことでしょう。
当時は深い視野がきかず、
一手ごとに丁寧に施術はしていても、
果たしてこれが正解かと迷い苦しんでいた。
そういった手技の選択も当時より今のほうが的確にすることができます。
身内に対しては、という限定事項だから許してもらえそうなことですが、
そこは、わかりました。



コロナのまん延防止もあって、
数日後に母の命日、三回忌をひとりで墓参りにいくにとどめる予定です。
その墓前で、すがすがしく賢くなったと伝えようと思っています。