なぜか、身体にしこりが付いてしまう。

なぜか、身体にしこりが付いてしまう。

『他の人が落ち着けているかどうかを見抜く目』をもてるようになったとき、
その『なぜか』の理由が見えてきます。

ワークを受け、身体の使い方のレクチャーを受ける過程で。
自分が立ち方に興味を持ち、ある程度上達したときに、そのセンスが備わります。

それまではなかなか<理想的な立ち方><悪い傾いた立ち方>の写真をみていただき、
「このようにまっすぐなのが良いのです。」といわれても実感を持てません。
「そういうものかなぁ。。。」という漠然とした感想です。

ですが自らがまっすぐ立つ練習に入り、その難しさを知ると、
まっすぐに立てているモノが実はすごい強者のように見えてきます。
体験を通した学習が始まります。
今まで見えなかった、意識できていなかった、認識できていなかった、
多くのものを感じ取るきっかけを得た事となるでしょう。
そして少しずつ立つ感覚が芽生えてくると、
他の人がまっすぐ立ててない事が、気になってきます。
許せなくなってきてお節介を焼きだすときもあります。
そのレベルまで進むと、感覚的に目の前の人が立てているかどうか、
察知できるようになります。
もちろんまっすぐ立てている人の前に行くと気持ちよく、
そうでないときには多少違和感を感じます。

頭で得た知識ではこうはいきません。
身体の体験を通したとき、認識力は変容していきます。
合気道では相手の力量を推し量る能力を身につけた事になるでしょう。
この見抜くことは特殊な能力というよりも、
本能的にしこまれたものではないかと思います。
一瞥した瞬間に読み取れますから。

そして美的センスにも通じるものだと感じます。
著名な画家や演奏家には、身体を立てる能力を遺憾なく発揮した逸話が多数あります。

まっすぐ立つ能力も本来特殊なものではありません。
赤ちゃんが立つときは、みなこの強者のスタイルです。
だから多くの方々がその強者だった経験があるのです。
そのときを忘れ、体内に複雑なしこりを付けてしまえば、
赤ちゃんのときの落ち着いていた状態を手放したのかも知れません。
それを取り戻す事は、意外なほど手間がかかります。

強者に自分が変われば、
『なぜか、身体にしこりが付いてしまう。』から、
『なぜか、身体のしこりがなくなってしまう。』へ理想的な転身へ。

保証します!