筋肉のしこりパターンと脳の思考回路は似てくる。
こころに柔軟性がでてくれば、
脳の神経プログラミングがほどけていく。
『そうせねばならない』『それはタブーだ』などという、
無意識に抱く方向性の限定と抑止のパターンが緩みだす。
後天的に、タブーや制限を得る。
脳が白紙で生まれてくる人間は、
周りをみようみまねるしかない。
この後天的なパターンの刷り込みで、
知恵を獲得し、
社会生活が円滑になる。
だがこのパターンは「なぜそうするといいのか?」
という質問をして得られたものだろうか?
「そうだ」といいたいが、
こじつけの解説しかできないはず。
疑問をぶつけてパターンを勝ち得たものは少ない。
「誰かがそうしたからまねた」だけ。
白い紙がインクを吸い取るように、
刷り込まれてインプットされた。
自分の中のものと摺り寄せられた、
消化できた知識の獲得とは異なる。
未消化の知から得られた思考パターン。
だが一度獲得してしまえば、
それがあたかも自分自身の一部、
一体物であるように感じられる。
だからたいていがその一体物を、
非難・注意されれば憤慨する。
ボディワークの深みに入る課程では、
この根っこを探って引っこ抜くこと。
その必要性を痛感するものが多い。
なぜかといえば、
答えはカンタン。
見よう見まねた未消化のパーツを、
自分の体に移植しても使い勝手が悪いから。
自分の中に眠る感性を呼び覚ます。
そのゲームに参加する切符を買う代償が、
未消化のパターンを売り払うことです。
惜しみなくさらっと手放す。
小さいものからポンポンと。
肉体的なエクササイズとは異なるが、
自分の脳を赤ちゃんの白紙のセンスにリセットし、
新たに消化して思考パターンを自分のものにしていく。
自分専用のカスタマイズパーツをこころに持ったとき。
体のパーツが自然本来の設計を見失わなくてすむ。
そう変化していく。
『心のわだかまり量と体のわだかまり量(=しこりや偏り・機能不全)は、
正比例するのではないか?』
体を繊細に動かすにつれ、
それが確信に変わる。
体の緩む量が加速して、
正しいと腑に落ちる。
ムーブメントを主体にしたボディワークで深みに入るとき。
この過程がはずせなくなる。
この大切さを気づいた人は、
変化が永続し続ける人です。
とても幸せな人と思います。