『目で盗むこと』

『見習い』ということばがある。
手本を見て、それをまねること。

『目で盗む』と言うこともできる。
相手の動き、一挙手一投足をコピーする。

コピーは『表面上のコピー』に始まる。
次に芯を捕らえ自分のものにしていく。

『表面上のコピー』が悪いわけではない。
だが脆弱な知識体力では、
手本の要点を見極められない。
真似ようと努めても、
結果似て非なるものだ。

目で盗むならば、
知識体力の根が必要。
これがなければ困難。

手本の中に含まれる物理的法則。
ものの捉え方。
体のさばき方。

見て盗むことができるかどうかは、
日頃の自分の取り組み姿勢の問題。

日頃、自分が意識的に追い求める知識が、
手本から発見できる。
共感できたところのみ発見できる。
手本を受け入れる準備がなければだめだ。
真に共感できない。

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未熟な知識体力状態でも『型』稽古がある。
型を繰り返すことで技を習得する。

だがただ繰り返すだけではいけない。
日頃の試行錯誤の量と質。
この両車輪が回りだすようにする。

そうすれば答えを教えてもらって、
後からその証明問題を解くようなもの。

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なぜ脆弱な知識体力の人に、
合気道の師範などは手取り教えないのだろうか。
それはその人の内的成長と共に、
技は身につけられると割り切るからだろう。

手本以外の答えを言えば、
準備段階のものには迷惑。

師の捕らえた一部のポイントを教えてもらい、
わかったような気になる。

要点を見抜く目が詰まれ、
そこで成長が終わるものが多い。
そうしたくないはずだ。

それに脆弱な知識体力ではメッキがはがれる。

習ったものが強力効果の技ならばどうだろうか。
自分ではトラブルを起こしているつもりがなくても事故が起こる。

教えたい気持ちと教えたいが教えられない気持ちの駆け引き。
たずなさばきが難しい。

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よく準備して『目で盗む』ことは楽しいものです。

友人の中に、
私の行うワークを一部断片を見せただけで再現できるものがいる。
行ったデモ部分の再現のみではなく、
それを応用して新案を投げかけてくる。
私も同様に相手のワークを見てフィードバック。
互いに目で盗みあい、
自分なりの解釈を加えて新たな遺伝子を組み込む。

時が経つのを忘れるほど楽しい!

これが本来の目で盗む醍醐味でしょう。